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何を一人で納得しているのかと申しますと、一年以上前に書いた記事の内容です。
それは→http://umena.blog.shinobi.jp/Entry/416/
この文書に出て来る人物は二名、一人は親王禅師、もう一人は藤原朝臣縄麻呂です。
そして日付は、宝亀十年十二月六日、これがどういう日なのかと申しますと、藤原縄麻呂が亡くなる一週間前です。
つまり、親王禅師は中納言の縄麻呂のために、東大寺に治療に用いるための葛を四両請求している訳です。
文書の勉強なんてした事ないから、こんな簡単な事も分らないんですね、我ながら(-_-;)
それはさて置き、縄麻呂の病気の事は東大寺にいても分かるでしょうが、廟堂に居れば嫌でも知れる事でしょう。
要するに私の都合の良い解釈では、東大寺に居るよりも、中宮院でも東宮院でも西宮院でも良いのですが、宮中のどこかに置かれた内道場に居た方が、これらの情報をいち早くつかむ事が出来たという流れになります。
この頃、たとえ還俗していなくても東大寺は出ていた、この解釈は出来そうです。
そういう訳で、権別当の実忠和上は、既に東大寺に居ない親王禅師にわざわざ、様々な決定をする時に同意を求めたのかもしれません。
ところでこの時、良弁は既に遷化しているから、二代目の別当は誰なんだ?
良興で良いのかな?
これって『東大寺要録』に載ってるのかしら……テキストないからなぁ(T_T)
……にしても眠い、明日も仕事だから、さっさと寝るべしや。
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