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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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先日とある場所で年配のご夫人方々が、一人っ子がどうのこうのという話に花を咲かせているのを聞くともなしに聞いておりました。
私の世代は2~3人の兄弟が当たり前ですが、今の十代、二十代の人たちは一人っ子も多いでしょう。
ご夫人らの話では、一人っ子はやはり思いやりや遠慮がないというご意見でしたが、兄弟が多くてもそういう人はいるもので、やっぱり育った環境が大きいのだろうなぁなどと在り来たりな感想を持ちながら、少しばかり別の事を考えておりました。

一夫多妻が許されていた時代には兄弟は多かったはずですが、夫婦が同居しないような階級の人たちの場合、子供は母親の元で育つのですから、異母兄弟は他人も同前だったようです。
私の話に再三出て来る藤原雄田麻呂こと百川も、恐らくは同母兄弟はいなかったと考えられます。
まぁ、不比等の息子らの内でも一番子沢山と思われる、宇合の子供の名前が全てわかっている訳ではないし、娘に到っては何人いたかも不明ですから、もしかしたら姉の一人や二人はいたかもしれません。

私の書く話の中では、白壁王倭新笠は若い頃から同居をしています。
それに反して、後に皇后となる井上内親王とは一度も同居した事無く、内裏に住まうようになって初めて共に暮らす羽目になります。
これが後に一悶着起こす要因にもつながるのですが、その話は一先ず置いておきます。

新笠との間には三人の成人した子供がいるのですが、他の奥さんとの間には一人の子供だけというパターンも勿論あります。
その一人が手嶋王こと開成王なのですが、この王と母親は一時、白壁王と同居しています。
それが恭仁京時代の事でして……なんて事を書き出しても、分かっているのは私だけ(-_-;)
新笠のキャラクターのお陰で、この二人の妻女はかなり友好的に過ごしているのですが。

上代において御公家さんの御内室が複数、同じ屋敷内に住まう時、互いに交流があるってのは当たり前なんだろうか、それとも珍しい事なんだろうか?
そもそも、どの程度の人が複数の奥さんを一緒に住まわせるような真似をしたんだろう??
四位の孫王の屋敷ならばそいつも可能でしょうけど、七位とか六位程度の官人はどうなんでしょう???
そして都意外に住んでいる人はどうなのかしら????
昨日の戸籍の例からも、こんな事を考えていたのを思い出してしまったのですが、結構ベーシックな事が分からない場合が多いです(~_~;)
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