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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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今日も内容と関係なく、カフェことだまのケーキセット(^^ゞ
藤原雄田麻呂が百川と改名したのは、恐らく光仁朝の始めの頃だと考えられています。
一昨日から書き直しを始めている話でも、初っ端から山部親王が「雄田麻呂」と呼びかけて、「百川です」と答える詰まらないシーンがあります。
これをこの一家が、いちいち繰り返してくれるという、更にどうでも良いような場面もあったりします。

何やら、奈良時代の後期には、名前を変える事でも流行ったのでしょうか?
皇族が賜姓されて名前が変わるのも多いのですが、藤原仲麻呂が藤原恵美押勝になり、藤原八束が真楯になり、千尋が御楯になり、宿奈麻呂が良継になり、文室智努が浄三になり……他にも例があるはずなのですが、あまり思い出せませんσ(^◇^;)

随分以前から疑問に思っていたのですが、この頃って幼名は平安時代ほど普通にあったのでしょうか?
推古天皇の幼名を額田部皇女といったと、日本書紀に書かれていたと思うのですが、いつ名前が変わって、何と呼ばれたものなのでしょう?
炊屋姫皇女?
しかしこの女帝のおくりなは豊御食炊屋姫天皇ですから、果たしてそれで正しいのやら……?

さっさと書き進めればよいものを、どうもこういう事に常々引っかかって、手が止まってしまうのが良くない傾向のような気が致します(~_~;)
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