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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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生前譲位をした天皇が太上天皇になります。
歴史書を信じるのなら最初は皇極太上天皇という事になりましょうか、その後に復位しておられますが。
その次に来るのは持統太上天皇、そして異母妹の元明太上天皇、その娘の元正太上天皇と、ここまでは全員が女帝となります。
そして次に来るのは聖武太上天皇、その娘の孝謙太上天皇という具合に、かなり続けざまに生前譲位を行っている様子が見られます。
この次に太上天皇となるのは光仁天皇です。
しかし、この方は息子に譲位したその年の暮れに崩御していますので、あまり太上天皇という印象がありません。

ところで平安時代に院政が行われるようになると、天皇よりも太上天皇(院)の方が実権を持つようになります。
こいつの萌芽は、既にこの頃から見られるようです。
皇極太上天皇が重祚するに当たって自らの意思が大きかったとしたら、孝徳天皇(同母弟)に対して太上天皇として並び立っていた可能性はあると思われます。
持統太上天皇に到っては、十五歳で即位させた孫を教え導こうという意思を十二分に持っていたと考えても、なんら差し支えないでしょう。

疲れたと言って譲位した元明太上天皇は、とりあえず飛ばしまして次の元正太上天皇、この方はかなりの影響力を持って甥の目の上に存在していたのではないでしょうか。
天平15年から17年まで、帝は恭仁へ遷ったり紫香楽へ行ったり、果ては難波へ向おうとしたり……
ここに難波が出て来るのは、この宮の主の氷高(元正)太上天皇を帝が無視できなかったからです。
何のかんのといっても、周囲を固める藤原氏の上を行けるのは、大伴氏でも巨瀬氏でも石川氏でも石上氏でも橘氏でもない、純然たる皇族の伯母太上天皇です。
そういう訳でここにあげました七人の太上天皇の内の五人までは、絶対に後継者に口出しをしていたと思われます。

それに対して、天皇にやたら意見したがった皇太子はと言いますと……実はあまり思い浮かばない(~_~;)
とりあえず奈良時代を眺めてみますと、首(おびと)皇太子(後の聖武天皇)、阿倍皇太子(後の孝謙天皇)、そして決定的なのは山部皇太子(後の桓武天皇)くらいかなぁ?

最後の御仁に関して言えば、宝亀十一年の『伊治砦麻呂の乱』の時には言わずもがな、既に父親の政権の最後の二年くらいは、殆どイニシアティブを取っていたんじゃないかと勝手に思っています。
それも東大寺にいる同母弟も巻き込んで……(ーー;)
もしこの路線で考えて行くと、後々、即位してからの後継者問題も、自ら墓穴を掘ったような展開になって行くんだよね……まぁ、今はここまで考えなくても良いんだけどね(-_-)
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