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つい先ほどまでNHKの教育テレビで『ETV特集』を見ておりました。
『シリーズ 日本と朝鮮半島2000年 第二回“任那日本府”の謎』というタイトルですね。
この番組の具体的内容を云々する気は、今のところないのですが(何せ今現在の私の守備範囲外の時代ですから)、ともかく精神衛生上、チョイと悪いんですわね。
何がって……頭の中がまた、全羅道の方に漂い出しましてσ(^◇^;)
そもそも私の中での古代半島情勢には、高句麗という国がとても希薄でして、いつも中心に座っているのが百済と新羅の関係なんですね。
だから最初の方のヨン様扮する広開土王が出て来ている内は、斜めに見ておりました。
ああ、ああ、相変わらず百済も伽耶も薙ぎ倒して、金城に来たら倭だらけだったって?
まぁ、高句麗に比べりゃ伽耶諸国の方が、私の頭の中ではずっと存在感がありますわね。
ところが漢城(ハンソン)陥落後、熊津(ウンジン)遷都後の話になって来ると、頭の中に妄想が沸き出て参りまして……番組の内容としては四~六世紀が中心のはずなのに、いつの間にか妄想は七世紀に突入して、熊津どころか泗沘(サビ)に遷都しております(~_~;)
七世紀における倭国の百済支援は、結局のところこの時代からずっと尾を引いているんだろうか?
だがどうしてあの時はあそこまで積極的な介入をする必要があったんだ?
いや、史書には現れないだけで、多少の波はあれど、既に四世紀辺りから密接な関係は続いていたと見る方が確かに自然だね……では、この頃にも同様な中央的な国家間のつながりを考えても良いのだろうか?
かくして八世紀は何処へ?
ようやく、少しずつ書く姿勢が戻って来たってのに、ここでまた変な方に興味が逃げるととても困りますわ(--〆)
それにしても栄山江流域の前方後円墳って、ブッチャイクだわねぇ。
テラスも作り出しも葺き石もないのね、もしかして???
まぁ、関東の六世紀のやつも充分変ですけどね、畿内の中期古墳を見慣れた目には(^^ゞ
『シリーズ 日本と朝鮮半島2000年 第二回“任那日本府”の謎』というタイトルですね。
この番組の具体的内容を云々する気は、今のところないのですが(何せ今現在の私の守備範囲外の時代ですから)、ともかく精神衛生上、チョイと悪いんですわね。
何がって……頭の中がまた、全羅道の方に漂い出しましてσ(^◇^;)
そもそも私の中での古代半島情勢には、高句麗という国がとても希薄でして、いつも中心に座っているのが百済と新羅の関係なんですね。
だから最初の方のヨン様扮する広開土王が出て来ている内は、斜めに見ておりました。
ああ、ああ、相変わらず百済も伽耶も薙ぎ倒して、金城に来たら倭だらけだったって?
まぁ、高句麗に比べりゃ伽耶諸国の方が、私の頭の中ではずっと存在感がありますわね。
ところが漢城(ハンソン)陥落後、熊津(ウンジン)遷都後の話になって来ると、頭の中に妄想が沸き出て参りまして……番組の内容としては四~六世紀が中心のはずなのに、いつの間にか妄想は七世紀に突入して、熊津どころか泗沘(サビ)に遷都しております(~_~;)
七世紀における倭国の百済支援は、結局のところこの時代からずっと尾を引いているんだろうか?
だがどうしてあの時はあそこまで積極的な介入をする必要があったんだ?
いや、史書には現れないだけで、多少の波はあれど、既に四世紀辺りから密接な関係は続いていたと見る方が確かに自然だね……では、この頃にも同様な中央的な国家間のつながりを考えても良いのだろうか?
かくして八世紀は何処へ?
ようやく、少しずつ書く姿勢が戻って来たってのに、ここでまた変な方に興味が逃げるととても困りますわ(--〆)
それにしても栄山江流域の前方後円墳って、ブッチャイクだわねぇ。
テラスも作り出しも葺き石もないのね、もしかして???
まぁ、関東の六世紀のやつも充分変ですけどね、畿内の中期古墳を見慣れた目には(^^ゞ
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