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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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え~、今までに何度か、非表示でコメントを頂いていた方が複数おられるようで、つい先程まで、全く気づいていない状況でした……大変な失礼をしていた事を、ここで御詫び申し上げますm(__)m

非表示コメントって、実は管理ページにも表面上出て来ないので、コメント一覧を見て始めて気がつくような状況なんです……重ね重ね申し訳ありませんでしたm(__)mm(__)mm(__)m




さて、ここより戯言……( -」)φ

春日若宮社にて春日大社の記録によれば、ここに御社ができたのは神護景雲二(768)年の十一月の事、時の藤原氏の氏長、北家の永手称徳女帝の勅命を受けて着手したのだそうです。

それ以前の天平勝宝八(756)歳に描かれた有名な『東大寺山堺四至図』(正倉院宝物)には、まだ社らしき建物は描かれず、『山階寺東松林』と『御蓋山』の間に四角く囲われて『神地』の文字が見えています。
そのため、神護景雲二年より以前には、社はなかった可能性が大きいのかもしれません。

しかし、現在見るような回廊を持つ社殿が出来たのは、平安の終わりか鎌倉の始めくらいのようで、具体的に何年かは不勉強で分かりません……σ(^◇^;)

私は勝手に、平清盛が安芸国なんぞにどでかい御社を建ててくれましたので、藤原摂関家がボウボウに対抗意識燃やして、うちも建てちゃるわ!!と建設を始め、その後、相模国の方でも、うちも遅れちゃいけねぇぞと、八幡神を勧請して関東武士の底力じゃあぁ!!と張り合ってたんじゃないかと妄想しております。
まあ、好き勝手に思っている事なので、特に信じないで下さい( ̄▽ ̄)。o0○

いずれにしろ、当初は御社殿と言えるほどの壮麗な建築ではなく、御社に瑞垣を巡らせた、現在、若宮社などに見るような姿だったのだろうと言われています。
参拝する場所も、拝殿というよりも拝屋という方が近いのかもしれません。

こういう事を踏まえながら、淳仁天皇の頃から称徳女帝崩御前後まで、『続日本紀』で宗教関連の出来事を拾い出していたのですが、やはり女帝の時代の方が記述は倍近くなります。
大和十二大寺という言葉も見え、行幸で七大寺を始め、河内の寺々まで足を運んでいます。
それに比べ、神社関係は決して少なくはないのですが、殆どは伊勢大神宮関連ばかりで、時々、出雲国造やら、宇佐八幡やら、鹿島神社やらと、地方の神社が出てくる程度で、畿内はおろか大和の記事は殆ど見えません……高鴨神(ではなく、実は一言主)を葛上郡に再び祀るなんて記事はありますが。
石上の神に封戸を施入なんて記事もありますか(゜_゜)

まあ、女帝は天平宝字六年に出家して、それ以降は僧尼を近従させていたくらいですから、御寺関係が多くても特に不思議でもありませんが。
それで東大寺関係が多いかと思えば、大して見えませんで、一番多いのは西大寺です。
称徳女帝の勅願ですから、当たり前といえば当たり前ですか。

しかし、やっぱり、はっきりした傾向が見えてこない……宗教改革や何かは今回のテーマじゃないしなぁ(゜.゜)
 
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