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休憩の茶を飲みながら、年齢が分からない人の大体の年代を考えておりました。
延暦四年の九月に主要登場人物となる面々なのですが、はっきり言ってどの人もこの人も、系統が分からなくて手がかりなし(T_T)
何となく分かるのは若干二名のみ……大事件の割にはキャストがなぁ、などと不謹慎な事を考えつつも、取り合えずはこんな具合となります。
まずは藤原雄依、異母兄の家依よりは少し年下になるのかな?
この二人は永手の息子たち、家依が長男で天平十五(743)年生まれ、雄依は次男か三男なので、まぁ、それ程年は離れていなくても良いでしょう。
次が、この前から何度か名前の出て来る大伴継人ですが……
天平宝字元(757)年に亡くなった父親への連座を問われていないところから見ても、この頃はまだ成人前、十五歳にはなっていなかったと見るのが妥当でしょうか。
最年少に見積もってこの年か次の年の生まれ、最年長の十四歳(数え)だとしたら天平十六(744)年生まれですね。
そうなりますと、亡くなった延暦四(785)年には四十二歳(数え)よりは若いというところですか。
どうやら藤原雄依と大伴継人はほぼ同年代と考えて良い訳ですね。
この二人の共通点ってあるのかなぁ……北家も大伴も桓武天皇には好かれてないとか?
継人は雄依の乳母子というのは、取り合えず無しねσ(^◇^;)
それにしても、この二人よりも一回り以上若い五百枝王は、どういう関わりで出てくるんでしょう?
同調させる要因が考え付かなくて……それじゃ話にならんだろう(ーー;)
あんまり安直に考えたくないのが、この人達と藤原種継の仲なんですよね。
例えば、種継が近江守になった時、介は継人で、この時に恨みを抱いた云々みたいな、今更みたいな展開では私自身が全然納得しないというか、面白くもなんともないというか……
相変わらずの天邪鬼が、こういうところでも自分で首を絞めている訳なのですが(-_-;)
あぁ、今日(とっくに昨日)の橿考研の現説もその内に上げなければ……