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右にも左にも進めなくなったなら、とりあえずベーシックな所に戻りますか……(~_~;)
そういう訳で昨日から『続日本紀』(新日本古典文学大系:岩波書店)を眺めています、と言うか読んでおります。
だいたい神護景雲元年から宝亀四年くらいまでは、一通り読まなければなどと思っておりますが……
一番の敵は睡魔……σ(^◇^;)
次はウメナさん……(ーー;)
未だに神護景雲三年で立ち往生しております。
三年のいつかと申しますと、案の定、九月ですわね。
この時に起きたかなり有名な事件は、『宇佐八幡大神の託宣』騒ぎです。
何に引っかかってるかって……二つの宣命に挟まれて記されている事件の経緯が、どちらの宣命ともスムーズに結びつかないのよ(゜.゜)
だから後半の宣命は本来ここに入るべきじゃないという研究者もいる訳なのですが、こちらはともかく前半の内容にも結構疑問があるんです、以前から。
だから阿倍女帝がわざわざ筑紫にまで聞きに行かせた神託は、事件の経緯にわざとらしく書かれている内容とは別なんだろうと考えている訳で……こいつにいい加減、まともな解決策を考えないと(+_+)
それでもこういう事を考えている内は良いんです……
困るのは……正五位上淡海真人三船、従五位上大伴宿禰家持を並に大宰少弐……なんて記述にぶち当たると(?_?)
なんちゅう鬱陶しい人事だ、この時の大弐は誰さ?
藤原朝臣楓麻呂か、もしかしたらこの人、兼任官で遙任かな?
という事は、このどちらかが大宰府に行く事になるんだろうなぁ……どっちもどっちだけど^_^;
二人が一緒に赴任なんぞしたらどうなるんだ??
度を越した堅物と、融通の気かないチャランポラン(いずれも私の勝手なイメージです)、甲乙つけ難い変人同士か……大宰府も気の毒だなぁσ(^◇^;)
こういう脱線ばかりしているから、内容が頭に入りやしない!!
画像は、今の時季、河原辺りにやたらに咲いている草藤です。