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五月十四日は中将姫の御命日だそうで、毎年この日に当麻寺では『練り供養』が行われています。
中将姫と呼ばれている女性は、藤原南家の右大臣豊成の娘とされ、若くしてこの当麻寺で出家し、やはり若くして亡くなっているようです。
そして伝説では、この寺にて蓮糸で曼荼羅を織ったとされています。
この辺りの物語、折口信夫の『死者の書』をはじめ、謡曲『雲雀山』や浄瑠璃などで有名でしょうか……ってのか、この辺で勘違いされているような気もしますが(ーー;)
実のところ、私の周辺にはこの法要を見に行った事があるという人が殆どおりませんで、どのような状況なのかニュースや新聞記事でしか知りませんでした。
おまけに今年は土曜日に当たるので、絶対に混雑する事も窺えますし……(-_-;)
実際、いつもの年よりもかなり混雑していると、ご近所らしい人が話していました。
練り供養自体は、各地のいくつかの寺院でも行われているようですが、その元祖がこちら『当麻寺』で、既に千年を超える歴史があるのだとか。
何年か前に菩薩の面や装束も新しくしたそうで、昔とは別の趣きで良いものですよと、やはり御近所の方らしい御婦人が話しておられました。
これには尼僧姿の中将姫の坐像が乗せられていますが、御簾がかけられているために、御姿は殆ど見えません。
そして僧侶や楽人、お稚児さんに続いて、二十五菩薩が介添え役の人に手を取られて、まさにゾロゾロとやって来ます。
これが行きは常に逆光状態で、写真はフォトレタッチで修整しませんと、色も飛んでしまって全体にぼやけた感じになってしまいます……修正して何とか、ここに載せたという状況です。
逆に、通り過ぎた後姿は西日を浴びて鮮やかなものです。
それが二番目の、菩薩の後姿ですね。
ところでニュース映像などで良く見る、踊るようにして歩いて来る菩薩は阿弥陀三尊の脇侍の観世音菩薩と勢至菩薩だけです。
そして西に帰ってゆく時には、観世音菩薩の捧げ持つ蓮の花の上には、中将姫が乗っておられるという事になっています。
隣にいた二人の若い女性達が、この格好は絶対に如来じゃないねと囁き合っていました。
私にもそう見えます(~_~;)
それはともかく、仏画などに良く見られる、二十五菩薩と阿弥陀如来の来迎の様子を、このように表している訳です。
それを頭に入れておきませんと、何か変なパレードに見えない事も……と、今日も罰当たりな事をいう奴でした(*_*)
浄瑠璃などでは、この女性がまだ子供の時に孝謙天皇の前で琴を弾き、それが見事だと褒められたために中将の位をもらったとあるようですが……奈良時代の後期に、女性にそのような位を授ける事は絶対に無いでしょう。
ちなみに父親が中衛や近衛の中将だったかと申しますと、こちらの事実も無いようです。
私には未だに、この藤原南家の媛君にこのような名前がついた意味が分からずにいます……ってのか、この媛君の本名が伝わっていないのですから何とも申せませんが。
今日は午前中に大阪の住吉大社でふらついていて、そのまま当麻寺に来たので結構疲れましたわ……そして明日は京都だわ^_^;
いい加減、遊び歩いとらんで仕事せいって(-.-)
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