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これ誰かって?
『行基大僧正』とメモ書きにありました。
……というか、誰の顔をモデルに描いたんだ?
何となく、記憶があるんだが(*_*;
多分、元某研究所の某氏かな(ーー;)
それはさて置き、白壁王と行基和上の交友関係は父親の代からと常々書いておりますが、では、志貴親王と和上の交友関係は、どういう切欠からだったんでしょう?
何せ、志貴親王の話って、若い頃しか書いた事がなくって……気がついたら平城京造営に関係する事になって、この御仁と場所の選定やら造成に関する打ち合わせをさせられる羽目になってまして、作者は細かいところをすっ飛ばして、遷都にまでなだれ込ませてしまいましたとさ(--〆)
何せうちの志貴親王って人は、「子供の頃には巧人と共に寺の屋根には上がる、伎人の工房には邪魔をしに行く、挙句の果てには測量の方法まで教わる」(大津皇子談)ような変人ですから、行基和上のような無頼の僧侶には、かなり親近感を持っていたかと思われます。
きっと息子らは、父親と和上との関係を悪口半分以上で語るんだろうなぁε-( ̄ヘ ̄)┌
それにしても、この歌は良いなぁ……
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