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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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こうやって撮ると、やはり大きいかも華厳宗総国分寺『東大寺』の金堂を通称『大仏殿』といいます。
大仏さんこと毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)は、誰でも知っていると思いますが、江戸復興の時に作られた仏様はそれだけではありません。
脇侍の虚空蔵菩薩如意輪観音は、大きさの割には印象に残らないようです。
そして後方には、四天王の内で西と北の守護に当たる広目天多聞天がスックと立っておられます。
私は結構、この二体の天部像が好きで、時々写真を撮ってしまいます。


連子窓越しに西日を浴びて東大寺の四天王像といいますと、どうしても戒壇院の天平時代に作られた塑像(国宝)を思い出しがちですが、大仏殿にも見合う大きさの四天王像はあったようです。
昨日、春日大社の後に東大寺に行きまして、大仏殿に初詣をして参りました。
もうすぐ閉門ですというアナウンスの頃ですので、西日がこのように堂内まで差し込んでいて、連子の影が綺麗でした。
こちらが広目天です。

別名は毘沙門天ともいいます。そしてその反対側に立っているのが多聞天です。
単体で現される場合は毘沙門天、平安京では北の守護、鞍馬山に鎮座している事でも有名です。
この像の前の柱の根元には穴が開いていて、そこを抜けられると良い事があると、よく子供たちがくぐっているのも良く見る光景です。
そちらに気をとられて、結構、この巨大な像が印象に残らないのかもしれません。

四天王というからには後二体、東方の持国天、南方の増長天がいるのですが、ここでは完成を見なかったらしく、頭部だけが置かれています。
何せ公慶上人による大仏復興事業も資金難で、大仏殿のサイズが本来よりも縮小されているくらいですから、こういう事もあったのでしょうか。
この辺の歴史、よく考えたらあまり知りませんわ……気が向いたら調べてみようかしら(-_-)
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