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会いに行く先は実を言うと、今回も博物館ではありません。
この画像の御方と初めて会ったのは、やはり奈良国立博物館、平成十七年年末から十八年の年始の行われた特別展『東大寺公慶上人』の会場でです。
この方がどなたなのかと申しますと、聖武天皇なのだそうです。
聖武天皇が即位したのは二十四歳の時ですから、まあ、その頃をイメージして作られたのかなと思っても良いのですが……
この像が作られたのは元禄二(1689)年です。
この時の東大寺別当は済深法親王、延宝九(1681)年の小倉事件で出家を余儀なくされた霊元天皇の一宮です。
この方が別当に就任されたのは、この像の作られる前年、十八歳の時でした。
この像を見ていると二十四歳の青年というよりは、ようやく少年期を脱した年頃という顔にも見えなくはありません。
あくまでも私の妄想で根拠は無いのですが、最初にこの像を拝した時から、このモデルは済深法親王ではないのかと思っています。
御水尾上皇や徳川家綱がもっと長生きをしていたら、もしかして出家もせず、皇位にも即いたのかも知れない法親王の束帯姿を仏師は想像していたのでしょうか。
この坐像は現在、東大寺の天皇殿におられます。
こちらは非公開の場所ですが、毎年五月二日の『聖武天皇祭』の日には一般の拝観も出来ます。
そういう訳で、一年ぶりに会いに行くのは、一月半の後になる予定です。
この画像の御方と初めて会ったのは、やはり奈良国立博物館、平成十七年年末から十八年の年始の行われた特別展『東大寺公慶上人』の会場でです。
この方がどなたなのかと申しますと、聖武天皇なのだそうです。
聖武天皇が即位したのは二十四歳の時ですから、まあ、その頃をイメージして作られたのかなと思っても良いのですが……
この像が作られたのは元禄二(1689)年です。
この時の東大寺別当は済深法親王、延宝九(1681)年の小倉事件で出家を余儀なくされた霊元天皇の一宮です。
この方が別当に就任されたのは、この像の作られる前年、十八歳の時でした。
この像を見ていると二十四歳の青年というよりは、ようやく少年期を脱した年頃という顔にも見えなくはありません。
あくまでも私の妄想で根拠は無いのですが、最初にこの像を拝した時から、このモデルは済深法親王ではないのかと思っています。
御水尾上皇や徳川家綱がもっと長生きをしていたら、もしかして出家もせず、皇位にも即いたのかも知れない法親王の束帯姿を仏師は想像していたのでしょうか。
この坐像は現在、東大寺の天皇殿におられます。
こちらは非公開の場所ですが、毎年五月二日の『聖武天皇祭』の日には一般の拝観も出来ます。
そういう訳で、一年ぶりに会いに行くのは、一月半の後になる予定です。
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うめぞーが拝する