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あまりの人の多さに怖気づきまくりの今年の正倉院展ですが、実のところ先週行って参りました。
しっかり40分も並ばされましたわσ(^◇^;)
今年の鳴り物入り(?)の宝物は『螺鈿紫檀五弦琵琶』で、18年か19年ぶりの御目見えとのキャッチコピー付きでしたか。
私の記憶では、多分見るのは、二度目だと思います……と、今日も年の知れるような発言を(-。-)y-゜゜゜
あの時も、昭和の初めに行われた宮内庁の雅楽部の方による、実物演奏の音声を流していたと記憶しています。
そしてあの時も、「裏の模様も、全然欠けた所がないのねぇ」という観覧者の溜息に、
「後補材、はっきりと色違いでわかるじゃねぇの……」と内心でぼやいていたような(ーー;)
とにかく今回も、この琵琶の周囲だけで二十分近い待ち列が出来ておりましたが、まぁ、他はそれ程並んで待つような展示物もありませんでしたか。
今年もやや短め、三時間半程度で出てきました。
今回私が個人的に喜んでいたのは、文書類の署名やら出て来る名前やらです。
とにかく有名人が多くて、楽しかったです?
まずはメインの宝物の一つに上げられていた『種々薬帳』の末尾にずらりと並んだ御歴々(゜_゜)
『国家珍宝帳』と同じメンバーです。
何せ文書の日付も同じ、天平勝宝八歳六月二十一日ですから。
紫微令の藤原仲麻呂と、参議の筆頭で大倭守でもある藤原永手が、これでもかと競うような癖字で署名し、その後にも紫微中台の御偉方、巨萬(高麗)福信、賀茂角足、葛木戸主の署名が続いています。
福信も右上がり気味の癖字ですが、角足は何とも小心っぽっく、戸主は「知ったこっちゃない」とでもいう字ですわ(~_~;)
『雑札』とは木簡ですが、この一枚に飯高命婦(いいたかのみょうぶ)という女性が出てきます。
この人は、宝亀八年五月に八十歳で亡くなった、典侍(ないしのすけ)の飯高宿禰諸高の事だと思われます。
同じく『雑札』装束司 牒寺政所(装束の司が東大寺の政所に当てた牒)に書かれる次官佐伯大夫、天平勝宝五年ですから間違いなく佐伯宿禰今毛人ですね。
これには造東大寺司写経所の超有名人、上馬養(かみのうまかい)の名前も見えます。
この馬養(馬甘)さん、この後も経典の貸し借りの文書や、写経の校正の文書に、何人かの方々と一緒に、これでもかと言うほどの書名を残しています。
今毛人は東大寺から造東大寺司に経典を貸してくれと頼んでいる文書(東大寺牒)にも、直筆の署名が見えています。
同じ文書にも、これまた時の人(?)、少僧都良弁(別の文書では大僧都)の「文句があるか!」とでも言いたげな署名があったりします。
同じく別の『東大寺牒』には、法師道鏡のオール直筆もありですわ^_^;
「耳をそろえて、さっさと貸しやがれ」ってな乱筆が笑えます。
しっかり40分も並ばされましたわσ(^◇^;)
今年の鳴り物入り(?)の宝物は『螺鈿紫檀五弦琵琶』で、18年か19年ぶりの御目見えとのキャッチコピー付きでしたか。
私の記憶では、多分見るのは、二度目だと思います……と、今日も年の知れるような発言を(-。-)y-゜゜゜
あの時も、昭和の初めに行われた宮内庁の雅楽部の方による、実物演奏の音声を流していたと記憶しています。
そしてあの時も、「裏の模様も、全然欠けた所がないのねぇ」という観覧者の溜息に、
「後補材、はっきりと色違いでわかるじゃねぇの……」と内心でぼやいていたような(ーー;)
とにかく今回も、この琵琶の周囲だけで二十分近い待ち列が出来ておりましたが、まぁ、他はそれ程並んで待つような展示物もありませんでしたか。
今年もやや短め、三時間半程度で出てきました。
今回私が個人的に喜んでいたのは、文書類の署名やら出て来る名前やらです。
とにかく有名人が多くて、楽しかったです?
まずはメインの宝物の一つに上げられていた『種々薬帳』の末尾にずらりと並んだ御歴々(゜_゜)
『国家珍宝帳』と同じメンバーです。
何せ文書の日付も同じ、天平勝宝八歳六月二十一日ですから。
紫微令の藤原仲麻呂と、参議の筆頭で大倭守でもある藤原永手が、これでもかと競うような癖字で署名し、その後にも紫微中台の御偉方、巨萬(高麗)福信、賀茂角足、葛木戸主の署名が続いています。
福信も右上がり気味の癖字ですが、角足は何とも小心っぽっく、戸主は「知ったこっちゃない」とでもいう字ですわ(~_~;)
『雑札』とは木簡ですが、この一枚に飯高命婦(いいたかのみょうぶ)という女性が出てきます。
この人は、宝亀八年五月に八十歳で亡くなった、典侍(ないしのすけ)の飯高宿禰諸高の事だと思われます。
同じく『雑札』装束司 牒寺政所(装束の司が東大寺の政所に当てた牒)に書かれる次官佐伯大夫、天平勝宝五年ですから間違いなく佐伯宿禰今毛人ですね。
これには造東大寺司写経所の超有名人、上馬養(かみのうまかい)の名前も見えます。
この馬養(馬甘)さん、この後も経典の貸し借りの文書や、写経の校正の文書に、何人かの方々と一緒に、これでもかと言うほどの書名を残しています。
今毛人は東大寺から造東大寺司に経典を貸してくれと頼んでいる文書(東大寺牒)にも、直筆の署名が見えています。
同じ文書にも、これまた時の人(?)、少僧都良弁(別の文書では大僧都)の「文句があるか!」とでも言いたげな署名があったりします。
同じく別の『東大寺牒』には、法師道鏡のオール直筆もありですわ^_^;
「耳をそろえて、さっさと貸しやがれ」ってな乱筆が笑えます。
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きょうてむじんが