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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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大極殿をバックに?騎射』という言葉が『続日本紀』に最初に見えるのは、文武天皇二年三月の事、

辛巳(21日)山背国賀茂祭の日、衆(もろひと)を会(あつ)めて騎射(うまゆみ)することを禁(いさ)む。

今でも京都の下鴨神社で五月三日に『流鏑馬神事』が行われていますが、この記事から、実に1300年にも及ぶ伝統がある事が分かります。

六位の兵衛というところでしょうか『騎射』とも『射騎』とも記されますが、この行事は五月五日の端午の節会として『走馬』と共に行われた事が、様々な記録に見えます。
本来、この日には鹿の袋角などを得る行事の『薬狩(薬猟)』が行われました。
天智天皇七年の五月五日に行われた蒲生野の薬猟などが、最も有名な例でしょうか。



馬も射手もたいへん美しいものです。大宝元年五月
丁丑(五日)、群臣五位以上をして走馬(はしりうま)を出(いだ)さしむ。天皇(すめらみこと)臨み観(み)たまふ。

ここでは五位以上の官人によって行われる『走馬』の行事しか書かれていませんが、『騎射』は衛府の武官で、馬の弓も得意な者が行ったのだそうです。

本日、平城遷都1300年祭の秋季フェアの行事として、この『騎射(うまゆみ)』が行われました。
御奉仕は、下鴨神社でもおなじみの小笠原流の方々です。
私は再々申しますと、三嶋大社の夏の大祭のハイライト、武田流の流鏑馬を昔から見ておりましたので、この神事は割合になじみなのですが、知識は殆どありませんσ(^◇^;)
小笠原流と武田流が二大流派になるそうです。

小笠原流弓馬術の若先生、小笠原清基氏この射手は小笠原流の御曹司だそうで、下鴨神社でも五位の赤い武官装束で務めておられましたか、左近衛少将とでもいうところかな。
今回の浅紫は三位以上ですが、こんな若い三位が奈良時代にいるとも思えませんから、諸王でしょうか……従五位下近衛府少将山部王(いつもの張ったりです)ってな具合???







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