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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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雨が降ったりやんだりしているので、大人しく(?)書き直し検討中の大枚話を読み返しております。
やけに手嶋王(開成王)との会話の場面が長いんですよね、こいつがかなり気になるのですが、この二人が無い情報を持ち寄って、ようやく事態が少しずつ見えてくるような話の進み方をしているので、下手に分断してしまうと、逆に話の流れが分からなくなりそうですし、どうしたものかと、少々悩んでおります。

ところでこの画像は、今日も内容とは関係なく、平城宮跡でボランティアで天平人をされている方々です。

東院庭園の天平美女たち山部王(うちのスメラミコト"^_^")が右京北辺(当時この呼び名はなかったと、奈文研の先生は言いますが)にある手嶋王の第宅を訪問する時のルートに、もう一つ悩んでおります。
山部王といいますか白壁王の第は、ここで何度も張ったりを飛ばしているように、『左京北一条第』、もう少し具体的に申しますと、左京一条三坊の北端にあります。
何坪かは適当に想像してやって下さい(~_~;)
そういう訳で、先代には藤原さんちとも結構、ご近所だった訳で、色々な意味での一等地にあります。

ここから右京に行くとなりますと、巨大な障害があります。
それが何かといえば、『平城宮』……こいつをどのように迂回するべきかが、本日の悩みどころσ(^◇^;)
当初は一条北大路を素直に西に向かえば、何の造作もないと考えていたのですが、宮の北側のもう一つの巨大施設を忘れておりました。
松林苑』、平城宮の北側に広がる最大の禁苑です。
これがまた、調査が進んでいないので、範囲が確定していなくて、佐紀盾列古墳群の南の方の小規模古墳もいくつか取り込むような説もあるくらいの、巨大規模が想定されています。
何せ、古墳の周辺に築地塀の基礎や、石敷き遺構などが確認されているらしいので、あながち信憑性がない訳でもないようです。

この松林苑と宮城の北辺大垣の間に、一条北大路は通っていたのか……?
調査例が見つけられないんですよ、色々探しているのですが。
この辺、平城宮資料館のボランティアガイドさんに聞いても、やっぱり分からないだろうなぁ(*_*;
もしもこのルートが通れなかったら、二条大路まで南下して、朱雀門の前を通って右京に入って、適当なところで北上するという、すっごく大回りな経路をたどる事になるんですよね。

訊ねて行く本人は馬に乗っているから良いかもしれないけれど、使いに出される資人らは、かなり良い迷惑なのではないでしょうか。
そもそも、資人くらいの人が家の用事で出かける時って、御屋敷の馬を借りる事ができたのかしら?
宅司くらいの有位者ならばできそうですけれど、白丁では無理でしょうねぇ……
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