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この歌の作者である笠朝臣金村も、そのような括りで扱われる人でしょうか。
何せこの人は『万葉集』にのみ名前の見える人でして、プロフィールがほぼ分かりません。
『万葉集』に残る歌の詞書から、いつどのような行幸に参加したかは多少分かっても、どの司のどの官職にいたのか、『続日本紀』には全く名前が見えないので、五位以下の下級官人と考えられている人です。
同じ笠朝臣で多少とも有名人といえば、笠朝臣麻呂(出家して沙弥満誓)くらいしか思い浮かびません。
高円の野辺の秋萩 いたづらに咲きか散るらむ 見る人無しに 巻第二-231
この歌碑の歌は、長歌に伴う二首の短歌の一首です。
-霊亀元年歳次乙卯秋九月、志貴親王の薨(かむあが)りましし時の歌一首 短歌を併せたり-
そして -右の歌は、笠朝臣金村の歌集に出づ-
とありまして、この霊亀元年(715年)の挽歌が万葉集に見える金村の最初の歌となっています。
ちなみに長歌とその他の事については、こちらのページを参照して下さい(~_~)
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