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先々週の土曜日、奈文研の平城宮資料館で木簡の展示を見に行ったと、ここでも書きましたが、その最後の方でクイズになっていた木簡の読み方について……
やっぱり私の読み方は、間違っていたようですわ?(゚_。)?(。_゚)?
写真禁止とはなっていなかったので、こいつの片方を写して来て、職場で見てもらっていたのですが、
その読み方、多分違うと、あっさり否定されましたσ(^◇^;)
何が違うって、最後の二文字……これ、多分、氏名じゃないだろうと(+_+)
「それじゃ、もしかして、兼任の兼?」
「まだ、その方がありえるんとちゃう??」
これは最後から二文字目の読み方……こう思い始めると、本当に『兼』の字に見えてくる^_^;
え~と、日付と官位と官職が書かれていた方ですね。
またも、ここでは具体的に書きませんが、私でもはっきり読める官位官職は、とにかくグレードが高いんですよ。
奈良時代も後期になれば顕著なのですが、高位高官の人に兼任職なんて至極当たり前です。
この頃になると五位程度の人がかなり増えるので、必然的に官職が不足して、本来の官位よりも低い官職に着く人がすごく多くなります。
そしてそのしわ寄せのように、より高官が幾つもの職を兼任する事になります。
何か、経済的危機に陥った地方自治体を思い起こすような有様ですが……(ーー;)
ところで、あの木簡に書かれていた官職、少し前に湯原王の地位をでっち上げるために、この役職に皇族がどの程度着く事があったのか『続日本紀』で拾い出しておりました。
こう書いたところで、官位の方がどの程度以上かは、分かる人には分かってしまいますね。
孫王ですから、湯原王は(~_~;)
それでですね、割合に少ないんですよ、この役職に関する記述が……
もしかしたら、これである程度、誰の事なのかが分かるかもしれません。
記年があったら、かなり絞り込めるんですけどねぇ。
そして最後の文字、半分しか残っていませんが、こちらも形からかなり絞り込めそうな気もします。
もう一度、本物の方を見て確認したいのですが、果たしてまだ展示されてるのかな?
何せ水漬け状態で蛍光灯の下に晒されてましたから、さっさと片付けられてしまったかも?
やっぱり、文書の類を勉強した事ないのは、痛いわね、我ながら(+_+)
官位って…なんだ