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昨年末くらいから、橿原考古学研究所付属博物館も、常設展示の写真撮影が概ね可となりましたので、年末年始の特別陳列『十二支の考古学』を見に行くついでに、常設展も観覧して来ました。
これは古墳時代の展示コーナーのメインにもなっている形象埴輪の一群で、左は三宅町の石見遺跡の埋没古墳の周濠から見つかった物だそうです。
右は橿原市の四条古墳(こちらも埋没古墳)から出土した鶏と飾り馬です。
四条古墳群は国道24号線の四条交差点や橿原警察署の辺りに広がっていたようですが、藤原京の造営時に墳丘を削られてしまい、発掘調査で見つかるまでは、存在が分からないという状況でした。
おまけの動物埴輪。
え~と、犬?と思われましょうが、犬は左の一番小さい物だけで、真ん中はイノシシ、右は雌鹿です。
この三頭も、橿原市の四条古墳から出て来たメンバーです。
犬は勿論、狩をする時に連れて行く猟犬で、イノシシや鹿は狩猟の獲物です。
埴輪に替わりましてこちらは、お馴染みの土馬です。
古代の中国では雨を臨む時に、馬を川の神に奉げたといいますが、土馬はこの代用品だと考えられています。
出土する場所は、大抵が川や堀などの水辺です、これが更に後には絵馬に変わって行くと考えられています。
この画像は、明日香村の島庄遺跡から見つかった物です。
島庄遺跡というと蘇我氏の館や草壁皇子の嶋宮の印象が強いですが、それらに伴うと考えられる庭園の池、貯水施設らしき方形池、河道の跡などが見つかり、ここで水辺の祭が行われたと思われます。
この画像にゴチャゴチャと写っているのは、平城宮跡やその周辺で見つかった水辺の祭祀の遺物です。
上の壇に見えるのは、木で作られた鳥形などと、人の顔を墨で描いた人面墨書土器、下で立ったりひっくり返ったりしているのは土馬です。
奈良県や周囲の県で見つかる八~九世紀の土馬は、大体こんな感じの三日月のような顔に突っ張った四肢、犬のように弧を描く尾を持った物が多いです。
この時代の馬は、現在乗馬クラブなどで目にするサラブレッドやクォーターブレッドなどのアラブ種ではなく、日本の在来種や蒙古系の野生馬に近かったそうで、そいつをデフォルメすると、こういう三日月顔になるのだとか?
乗馬の風習と共に馬が日本に入って来たのは、四世紀頃のこと考えられていますが、この時代の遺物というのは本当に少なくて、確定的な事は言えそうにないようです。
しかし、律令期になると上流階級のマイカーのような存在ともなるので、現在よりも遥かに目にする機会は多かったのではないでしょうか。
これは古墳時代の展示コーナーのメインにもなっている形象埴輪の一群で、左は三宅町の石見遺跡の埋没古墳の周濠から見つかった物だそうです。
右は橿原市の四条古墳(こちらも埋没古墳)から出土した鶏と飾り馬です。
四条古墳群は国道24号線の四条交差点や橿原警察署の辺りに広がっていたようですが、藤原京の造営時に墳丘を削られてしまい、発掘調査で見つかるまでは、存在が分からないという状況でした。
おまけの動物埴輪。
え~と、犬?と思われましょうが、犬は左の一番小さい物だけで、真ん中はイノシシ、右は雌鹿です。
この三頭も、橿原市の四条古墳から出て来たメンバーです。
犬は勿論、狩をする時に連れて行く猟犬で、イノシシや鹿は狩猟の獲物です。
埴輪に替わりましてこちらは、お馴染みの土馬です。
古代の中国では雨を臨む時に、馬を川の神に奉げたといいますが、土馬はこの代用品だと考えられています。
出土する場所は、大抵が川や堀などの水辺です、これが更に後には絵馬に変わって行くと考えられています。
この画像は、明日香村の島庄遺跡から見つかった物です。
島庄遺跡というと蘇我氏の館や草壁皇子の嶋宮の印象が強いですが、それらに伴うと考えられる庭園の池、貯水施設らしき方形池、河道の跡などが見つかり、ここで水辺の祭が行われたと思われます。
この画像にゴチャゴチャと写っているのは、平城宮跡やその周辺で見つかった水辺の祭祀の遺物です。
上の壇に見えるのは、木で作られた鳥形などと、人の顔を墨で描いた人面墨書土器、下で立ったりひっくり返ったりしているのは土馬です。
奈良県や周囲の県で見つかる八~九世紀の土馬は、大体こんな感じの三日月のような顔に突っ張った四肢、犬のように弧を描く尾を持った物が多いです。
この時代の馬は、現在乗馬クラブなどで目にするサラブレッドやクォーターブレッドなどのアラブ種ではなく、日本の在来種や蒙古系の野生馬に近かったそうで、そいつをデフォルメすると、こういう三日月顔になるのだとか?
乗馬の風習と共に馬が日本に入って来たのは、四世紀頃のこと考えられていますが、この時代の遺物というのは本当に少なくて、確定的な事は言えそうにないようです。
しかし、律令期になると上流階級のマイカーのような存在ともなるので、現在よりも遥かに目にする機会は多かったのではないでしょうか。
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