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「あの老体が簡単に口を開くであろうか。ともあれ娘の尚蔵にまずは渡りを着けてみるか、泉などでは全く役に立たぬであろうから」
このように山部親王から言われているのは、老体の吉備真備、尚蔵(くらのかみ)の吉備由利、そして役立たずの吉備泉の親子です。
吉備由利という女性のプロフィールは、真備の娘か妹となっていますが、阿倍女帝の信任を得ていたというところから、年齢的にも娘と解釈する方が多いようです。
私も娘として書いております。
それも真備が最初に入唐する前に生まれた長女の扱いです。
これからホザキます戯言は、根も葉もない妄想ですので決して信じないで下さいσ(^◇^;)
由利が物心ついた時には父親は唐に渡った後、母親は娘を連れてさっさと再婚します。
天平七年に大宰府から父親帰還の知らせを受けたところで、由利は既に結婚していたし、それ以前より母親から散々に悪口を吹き込まれていたので、顔も覚えていないような父親への思慕の念もへったくれもあったものじゃありません……(ーー;)
それでなくとも、この年の夏から豌豆瘡が徐々に蔓延を初めて、それと共に帰って来た父親では、彼女の中に良い印象はほぼありませんでした。
由利はこの頃、皇后宮職に勤務していて、年も近い事があって阿倍内親王付きの女孺(めのわらわ)を勤めていました。
十八年も唐で様々な学問を学び、様々な書物や物品を見せ付けるように携えて帰って来た父親ですから、これより先、娘の方も色眼鏡で見られるという弊害が由利に降りかかります。
おまけに娘が皇后や内親王のすぐ側に上がっていると知った父親は、鉄面皮にも自らを推挙せよなどと娘に迫ります……五位をもらっただけじゃ、気が済まなかったようです。
ところで由利の夫は橘諸兄に仕えておりましたので、こちらにも紹介して欲しいと、横柄な父親は娘夫妻の元に乗り込んで来ます。
そして天平九年、都での豌豆瘡のピークを迎え、壊滅状況の太政官のトップに橘諸兄がのし上がり、真備も従五位上中宮亮になります。
「これで御気が済みましたでしょう、父上様。もう私達には構わないで下さいね」
こういう事になる筈だったのですが……天平十三年秋七月、既に二年前に皇太子となり、恭仁宮にいる天皇の代わりに平城宮に留まっている阿倍内親王に仕える由利の元に、またもや水をかけられるような知らせが届きます。
吉備真備を東宮学士とする……
「何ですって!では父上が平城に戻って来るという事?それとも皇太子が恭仁に行かれるという事?いずれにしても冗談じゃないわよ!!!!!」
このように私の妄想の中でのこの父娘はとっても仲が悪いと言うか、娘の方が父親をかなり嫌っています。
娘が父親のおかげで出世したというよりも、父親が娘を足掛かりにのし上がったという設定です。
そのような訳で、山部親王に命じられた藤原百川が由利の元を訪れ、既に右大臣を致仕している父親にアポイントメントを求めるのですが、かなり良い迷惑だったのではないでしょうか。
「しかし仮にも貴方、参議じゃありません事、既に官職を辞した老人に面談を申し入れるなど、容易い事ではありませぬか。況してや中務卿の御依頼だと仰れば、皇族大好きのあの父の事ですもの、番所繰り合わせて予定を空けると思いますわよ」←岩下志麻の声で^_^;
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