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さて、今日も備忘録的な戯言ででも……
先日の戯言で、和気王の謀反が発覚した頃、新田部親王家は全滅に等しい云々と書きましたが、確かに親王の息子の孫王らは、既に故人かもしれませんが、その次の世代に伏兵(?)がいる事を忘れておりました。
それが誰かと申しますと、不破内親王の子供達です。
その父親は塩焼王ですから、新田部親王家の三世王です。
神護景雲三年五月に起きた巫蟲事件に伴って、氷上志計志麻呂(ひかみのしけしまろ)という名前が出てきます。
この御仁を皇位に就けようと、内親王や女官らが事件を起こした事が発覚し、内親王は都の外に追放、息子は土佐国に流されます。
この事件によって母親の不破内親王が、厨真人厨女(くりやのまひとくりやめ)などという変な名前に変えられているので、息子もやはり流罪になるに当たって、お間抜けな名前に変わっている可能性を指摘されていまして、本名は別にあるのだろうと考えられています。
そして次に出て来るのは、延暦元年閏正月、氷上川継(ひかみのかわつぐ)がやはり謀反を図ったという罪状で伊豆国三嶋に流罪になります。
この三嶋、伊豆国府の有った場所(静岡県三島市)ではなさそうで、現在の東京都大島郡、つまり伊豆諸島のどこかだろうと言われています。
確かに地元の伝承には、源頼朝や弘法大師はあちこちに出没してますが、都から流されて来た皇子の類は記憶にありません……って、私が知らないだけかσ(^◇^;)郷土史に疎いヤツ(ーー;)
しかし、氷上川継の変という事件も、事前にほぼ計画が漏れていたようで、完全に手の上で踊らされているというか、かなりお粗末な書かれ方をしています。
そして前述の志計志麻呂と川継は、同一人物かもしれないし兄弟かもしれないと、研究者の意見も分かれているところです。
それにしても、どちらの事件も主導権を握っているのは、息子よりも母親と思えるのは何故(?_?)
そういえば、この事件の後、不破内親王は娘と伴に淡路島に流されていますが、ここって、この当時の皇族の流刑地なんですかねぇ……
ところで 佐野美術館の秋の特別展は『小村雪岱』ですか。
まあ、この人の美術館は京都にあるから、無理して行かなくても良いけど、この辺で一度、実家の方に帰ろうかな……で、函南にも仏像見に行く?(゚_。)?(。_゚)?
富士川のサービスエリアのプラネタリウムも行きたい、メガスターだよ!!
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