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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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先日に賜姓云々をぼやきましたが、渡来系人の長たらしい姓をすっきりと地名のような姓にしてしまうのを始め、ランクアップするついでに同じ氏姓に収めてしまうのは、もしかして戸籍を少しでも整理するためなんだろうかと、特に根拠もなく漠然と考えてます。
戸籍の整備は、どれだけの正丁がいて、どれだけの税収、労力、兵力が得られるのかを把握するためですね……考えていて、何となく気分が暗くなりますわ(-_-;)

それはともあれ、神護景雲三(769)年三月、大国造(おおくにのみやつこ)道嶋宿禰嶋足(みちしまのすくねしまたり)の申請により、数十人の人々が十八の氏姓を下賜されています。
道嶋嶋足という人は、一番最初には丸子嶋足という名前で出てきます。
天平勝宝五(753)年に牡鹿連(おしかのむらじ)を賜姓され、更には天平宝字八(764)年、恵美押勝の乱の始めに武功を立て、牡鹿宿禰の姓と従四位下の位をもらいます。
初出の時には大初位下という、下から三番目の位階だった人が、十一年後には四位ですから、破格の出世をした一人に数えられます。
この後天平神護二(766)年には道嶋宿禰嶋足で見えますので、これ以前に三度、賜姓されています。
延暦二(783)年に正四位上で亡くなるまでに、中央武官のエリートや諸国の国司などを色々努めました。

名前などからも伺えるよう、この人は陸奥国の出身です。
兵役で都にやって来て衛士か兵衛になり、上司の覚えが良かったのか、授刀衛府に配属になり、中間管理職くらいになって、ある時ある場所での武功によってエリートコースに踏み込む事になりました。
破格の出世の以前を見ても、この御仁、割合に都住まいが合っていた人なのかもしれません。
そして陸奥の顔役(?)となった嶋足は、雄勝(おがち)や桃生(もものふ)に城柵も完成し、多賀城の整備も成って佳境に入った陸奥経営に貢献するように、神護景雲元年十二月に陸奥国大国造に任命されます。
三年の賜姓の申請も、陸奥出身の後輩らの中央への従属を促すものでしょう。

ところで宝亀十一年三月、伊治公呰麻呂(これはりのきみあざまろ)が陸奥国按察使を殺害して多賀城を焼き払って謀反するという大事が起きます。
切っ掛けは道嶋本盾という人との諍いのように書かれていますが、まあ、それだけではないでしょう。
この時に件の嶋足が何をしたかと申しますと……不明です(-_-)
この時は近衛府の中将を始めとした中央の官職を得ていたので、陸奥の方にはあまり目が向いていなかったのかもしれません。

そしてこの三年後に亡くなるのですが、『正四位上道嶋宿禰嶋足卒しぬ』とあるだけで、どのような官職に付いていたかは書かれていません。
既に桓武天皇の御世、もしかして、陸奥国のイザコザの責任を取って職を辞していたという可能性も考えられたり……
ともあれこの後、長きに渡る陸奥への出兵が始まる事となります。
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きのう、多賀城で

きのう、多賀城でうめぞーと嶋まで従属したかもー。
ともあれきょうは、足が従属したいなぁ。

大きい 道嶋嶋足

大きい
道嶋嶋足と諸国とか広い武功と割合を完成すればよかった?


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