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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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藤原朝臣種継という人のプロフィールを考えているのですが、晩年は兎も角、四十前までがなんとも地味で釈然としません。
これに比べると、叔父の雄田麻呂(百川)はかなり派手というか煩雑です。
恐らく種継は、若い頃からずっと授刀衛府(近衛府)にいて、地方官を兼任していたようですが、雄田麻呂は矢鱈滅鱈に兼任官が多いのが目に付きます。
それも三十代の半ば、孝謙女帝の時代になってからの事です。
これは異母弟の蔵下麻呂も同様ですが、この人は明らかに『恵美押勝(恵美仲麻呂)の乱』での功労による、破格の出世の賜物です。

雄田麻呂はとにかく忙しいんです。
今までに書いた話の中でも、時に遊行女婦(うかれめ)通いはするけれど、仕事もきっちりこなし、上官からの覚えも芳しく、家族サービスにも怠り無い、絵に描いたようなA型人間です。
そして宝亀年間になると、平気で顎で使うような私的な頼みをする、困った親王(言わずと知れたうちのスメラミコト)のお守りまで加わります。
それがあまりに横柄な頼み事だと、平気で甥の種継に振る事になります。
種継も公務以上に、私用が忙しいんですね?

さて、雄田麻呂にしても蔵下麻呂にしても、共に四十代で亡くなっています。
昔で言えば初老の域とは言え、官界では一番油ののった時期、案外この兄弟、怨霊云々なんて事よりも、忙しすぎて過労で倒れたんじゃないのかと私には思えます。
北家の八束(真楯)と千尋(御楯)も突然、亡くなってますしねぇ……(-_-;)
永手もそれなりの年(五十八歳)とは言え、本当に突然だし……

もしかして種継も延暦三年の暗殺騒動なんか無くても、この親戚連中と同じように早死に(この時代なら、そうとも言えないのかもしれませんが)していたかもしれませんわねぇ。
誰よりも人使いの荒い人が直属上司(?)だしなぁ……
そう考えると、参議式部卿が直々に突貫工事の立会いする事自体が、結構不自然に思えるようなσ(^◇^;)
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