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天平宝字七年の太政官人事
大師(太政大臣) : 藤原恵美朝臣押勝
御史大夫(大納言) : 文室真人浄三(智努王)
中納言 : 藤原朝臣永手
藤原朝臣真楯
氷上真人塩焼(塩焼王)
白壁王
参議 藤原朝臣清河
藤原朝臣御楯
藤原朝臣弟貞(山背王)
藤原恵美朝臣真先
藤原恵美朝臣訓儒麻呂
藤原恵美朝臣朝獦
中臣朝臣清麻呂
石川朝臣豊成
(゜.゜)う~ん(゜.゜)……何なんだ、この偏りまくった人事は。
藤原恵美家(南家)と北家のケンカみたいだわ、まるで……(・.・;)
藤原さんだらけもすごいんだが、皇族出身者が四人もいる(ーー;)
この次の年に、大幅な人事異動(?)があるのですが、ここでもまた、別の意味で偏った編成になるんですよ。
それにして見目立つのは、やはり諸王の名前が散見される事です。
聖武天皇が皇家親政を考えた事は確かなのでしょうが、この編成を見ていると、娘の孝謙・称徳天皇も別の形で考えていたのだと思われます。
やっぱり皇族官人を避けて通れないのねぇ、この時代……(-_-;)
しかし、系統が分からないのよね、諸王の殆どって。
ところでまったく別の話。
今日、地元の歴史などに詳しい方から、広陵町にある箸尾御坊(教行寺)の近くのお寺の話を聞いたのですが、何でもこのあたりに門跡寺が最近まであったとか……
チョイと複雑な話らしいので、調べてみようと思ったのですが、少なくともネット上で検索しても寺の名前はともかく、それらしい話は全く出てきません。
う~~~~ん、やっぱり複雑な事情があるんでしょうねぇ。
それにしても地図で見ると、このあたりってお寺だらけです。
一度機会があったら行ってみようかしら。