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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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この御仁は果たして一般的な古代史ファンからはどう思われているのでしょう。
うちではかなり人間くさい御仁です。
生まれたのは慶雲三(706)年ですから、後の悪友、白壁王よりも三つ年上になります。
従五位下に叙位されて史書に現れるのは天平六年、二十九歳の時です。
二つ年上の同母兄の豊成が二十一歳でさっさと同じ位をもらったのに比べると、嫡子と庶子の違いは大きなものです。

ともあれエリートの典型とでも申しましょうか、この御仁の出世街道は内舎人より始まります。
格に従えば、二十一歳の時のはずです。
そしてその三年後(実は二年半後)には白壁王が同僚となりまして、この二人の腐れ縁的悪友ライフが始まるのです(~_~;)

この頃の仲麻呂は、白壁王の言葉を借りるなら
“垢抜けた美男で、口達者な切れ者”
“友好的な相手には、愛想を欠かさぬ律義者”……は普通の評価、
“ふてぶてしい態度を取るが、結構、神経質で細かい”
“普段が歯切れ良い分、落ち込むとかなり鬱陶しい”
“実はそうとう、根に持つ”、
“酔うとネチネチとしつこく絡む”……などなど(@_@;)

思うに、性格は悪くないはずです。
家柄云々を問われれば確かに藤原南家、しかし、それを笠に着ていては出世などできません。
後ろ盾が大してない祖父が若い頃にしたような根回しや人への気遣いは、天性の性格としてよりも、自然な計算の許に容易くできるようなキャラクターだと勝手に思っております。

兄に比べれば確かに出世はもたついていますが、一般的な上位官人の例からすると、かなり早い部類に入ります。
何せ三十八歳の時には参議となって、中納言の兄と共に太政官における南家の地位固めを始めますから。
父親が生きていれば、この辺りの出世も、もっと早かったのかもしれませんが。

後半生の評価はどうあれ、この御仁の若い頃は曲者と呼ぶには、ややインパクトに欠けるかな……
これが私の与太話に登場する、藤原恵美朝臣押勝と呼ばれるよりもかなり以前の人物設定でした。

しっかし、山部王と関わる頃には、結構、意地悪いオヤジになりつつあるような……(^_^;)
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