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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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ただ今考えている辺りでは、志貴親王家の家長は長子の春日王です(正史には決してこの様な事、これより以下の事は書いてないので、絶対に信じないで下さい)。
天平元年、末弟の白壁王が内舎人になりたいと突然言い出した時、中務省に対して横車を押せる程度の地位にはおりました。
この時の年齢は四十四歳、役職は刑部卿、割合に親しい知人や友人として、内臣の藤原朝臣房前、大蔵卿の鈴鹿王、宮内卿の葛城王などがいた事になってます……以前に書いた話によりますと(^_^;)
そして仲が良いのか悪いのか分からない相手に、左大臣の長屋王がおります。

恭仁京遷都が行われる天平十二年には五十五歳、まだ官界をリタイアする年齢ではないのですが、甲賀寺の造営の頃には散位になっています。
そして亡くなった天平十七年にはちょうど六十歳、ちなみにこの年に白壁王は三十七歳ですから年齢差は二十三歳、長子と末子だけあって親子ほどの年齢差になります。

つまり白壁の生まれた時には、既に成人して家庭も持っておりました。
当然、この末弟が生まれた時の状況も良く理解しています。
父親の志貴親王が亡くなった時には三十一ですから、この後の家の置かれる状況や周囲が向ける目にも、理解や予想は充分についていた事でしょう。
春日にとってはすぐ下の弟たちや息子は、大して悩みの種にはならなかったのですが、下の方の弟たちには少々、厄介をかけられています。
何といっても一番の心配の種は末弟だった事は間違いありません。

父親を何もしていなかった風流人には決して想定しなかった結果、息子もそれなりに目も鼻も利くキャラクターになってしまいました(ーー;)
この長兄に育てられた白壁王も飲んだくれるだけが仕事じゃない、後に猛禽のようだと呼ばれる息子以上に遠望(むしろ遠謀か?)の利く壮士になった事でしょう、ってのか……なってくれにゃ困るんだよ、作者的にはね(~_~;)

さて春日王は、天皇や左大臣らの計画に深入りし過ぎて行く末弟を、果たしてどのような目でみていたのでしょう。
後々、白壁の息子たちから、穏やかで思慮深く、怒らせれば誰よりも怖い人だと評されたこの伯父、やっぱり一筋縄じゃ行かないのかもしれませんわ。
こう考えると、身内の大人たちもかなり厄介な人だらけだわねぇ……どの程度登場させりゃ良いのかなぁ、殊に春日王は絶対に無視の出来ない立場の人だしねぇ(@_@;)
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