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これから書くつもりの話には、以前に書いた下敷きがあるのですが、こいつがまた酷くまとまりも悪くて要領も得ない、変に尻すぼみの内容で終わっています。
主人公も変えるつもりですし、恐らくはかつての三倍くらいの長さにして、要するに全面的に書き直しをしなければなりません。
そういう訳で、以前に書いた話はほぼ参考にしない方が良さそうです。
それでも一応、その頃にブログに書いていた与太事を読んでおりました。
そして、ある記事を読んで思った事……
私が軽く問題にしたのは、大伴古麻呂と継人の父子です。
以前に書いた話でも、この親子、主人公たちの会話には出てくるのですが、彼らの行動には具体的に関わって来ません。
特に息子の方は、具体的な事件が起きるまでに名前が出てくれば良い様な存在でしか扱っておりませんでした。
ところがふと思ったのは、息子の方の事です。
この息子にとって、父親は果たして誇りに思える人だったのだろうか?
天平勝宝四年に遣唐副使としての使命を果たした父親は、恐らくは息子にとって自慢の父親だったのでしょう。
具体的な年齢は親子とも不明ですが、息子の方は到底、成人はしておらず、まだ幼かった頃の事だと思われます。
しかし、その五年後に父親は謀反への連座を問われて、刑死同然に亡くなっています。
この時に息子が成人していたか、この辺りも微妙なところでしょうが、その後の経歴を考えれば、粛清対象には入っていなかったと思われますし、まだ子供だったのかもしれません。
二十年後に父親同様に遣唐使に選ばれて海を渡り、命からがら帰って来た更に七年後、この人自身がまた父親と同様に罪を問われる事となります。
継人がもし、父親の事を幾ばくかでも恨んでいたのなら、処刑を目前にした時にどのように思ったのでしょうか……今回は、この辺りを具体的に書く予定はありませんが、何とも歯切れの悪い事件になりそうな気が致します。
それにしても、本当にあの主人公は働いてくれるのか?
変に小回りの利く白壁王の孫とは思えない腰の重さなんだが……(--〆)