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天気が思わしくなかったので、昼前から車で出かける事に致しました。
予定としては、奈良市奈良坂町の『奈良豆比古神社』です。
この神社には三つの社があって、その内の一つの御祭神が志貴親王です。
そういう訳で、久々に挨拶でも行こうという気分になったのでした。
ところが奈良市内に入ってから、NHKFMのトーク番組に聞き入っておりまして、見事に曲がる路地を行過ぎて、奈良坂を下ってしまいましたσ(^◇^;)
そういう訳で、超えちまったついでに黒髪山越えの道に引き返し、『奈保山東陵』に寄って来ました。
いずこも同じ鳥居に柵、宮内庁の看板です。
こちらの御陵に眠っておられるのは、第四十三代 日本根子天津御代豊国成姫天皇です……唐風諡号で言えって?
元明天皇――阿閉天皇です。
この御陵の道を隔てた西側にあるのが、『奈保山西陵』です。
こちらは第四十四代 日本根子高瑞浄足姫天皇こと元正天皇――氷高天皇です。
この御方は、阿閉女帝の娘に当たります、なんて事は今更、説明の必要もありませんね。
この近くに聖武天皇と光明皇后の間に生まれた親王(基親王もしくは某王)の『奈保山墓』もあるはずなのですが、地図に載っておりませんで、前もっても調べていなかったので、今回は行きませなんだ(-_-)
この母娘二代の女帝たちですが、実は御二方とも荼毘にふされています。
特に阿閉女帝は遺勅で、火葬したその場に墓をつくり、諒闇のために仕事を休むような事はするなと命じてます。
ただし、この二つの陵が御二方の御陵である確証はありません。
何せ御陵選定は明治になってから行われた事ですからねぇ……
さて、そろそろ奈良坂に引き返しませんと。
雨もポツリポツリして来ましたし。
予定としては、奈良市奈良坂町の『奈良豆比古神社』です。
この神社には三つの社があって、その内の一つの御祭神が志貴親王です。
そういう訳で、久々に挨拶でも行こうという気分になったのでした。
ところが奈良市内に入ってから、NHKFMのトーク番組に聞き入っておりまして、見事に曲がる路地を行過ぎて、奈良坂を下ってしまいましたσ(^◇^;)
そういう訳で、超えちまったついでに黒髪山越えの道に引き返し、『奈保山東陵』に寄って来ました。
いずこも同じ鳥居に柵、宮内庁の看板です。
こちらの御陵に眠っておられるのは、第四十三代 日本根子天津御代豊国成姫天皇です……唐風諡号で言えって?
元明天皇――阿閉天皇です。
この御陵の道を隔てた西側にあるのが、『奈保山西陵』です。
こちらは第四十四代 日本根子高瑞浄足姫天皇こと元正天皇――氷高天皇です。
この御方は、阿閉女帝の娘に当たります、なんて事は今更、説明の必要もありませんね。
この近くに聖武天皇と光明皇后の間に生まれた親王(基親王もしくは某王)の『奈保山墓』もあるはずなのですが、地図に載っておりませんで、前もっても調べていなかったので、今回は行きませなんだ(-_-)
この母娘二代の女帝たちですが、実は御二方とも荼毘にふされています。
特に阿閉女帝は遺勅で、火葬したその場に墓をつくり、諒闇のために仕事を休むような事はするなと命じてます。
ただし、この二つの陵が御二方の御陵である確証はありません。
何せ御陵選定は明治になってから行われた事ですからねぇ……
さて、そろそろ奈良坂に引き返しませんと。
雨もポツリポツリして来ましたし。
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