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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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墨書土器に寺の名前がさて、この寺の名前はと申しますと、出土した墨書土器に見えます。
『神尾』や『神雄寺』の文字が見えますので、『かみお寺』というのでしょう。
その他には『黄葉』や『大殿』の文字もありました。
『大殿』を『オトド』と読めば、大臣や上位の貴族の事を現しますが、『ダイデン』と読みますと天皇の居られる所となってきます。
さて、この寺は誰の建立なのでしょう?

文字資料としては、少し前に話題になった万葉歌の書かれた木簡がありますが、こちらは撮影禁止との事でした。
寺と歌木簡の関わりというのが、少々奇妙にも感じますが、この時代の寺の機能などを考える上の一資料となる事を指摘する研究者もいます。

高級品の陶器類墨書土器や大量の燈明皿に混じって、高位の貴族や寺院などで用いられた緑釉陶器奈良三彩があります。
三彩陶器には、波の文様や岩を表現したと考えられる破片もあり、これらを組み合わせて須弥山を模ったと思われます。
パーツには『右三』や『左五』の文字が刻書されています。
他には木製の下駄など、ガラスの管、和同開珎なども出土しています。

四天王の破片は本堂跡からそして本堂跡からはが出ていますが、大半が平城宮式だそうです。
量が少ないので、屋根全体に葺かれていた訳ではなさそうです。

更には須弥檀の周辺からは、この画像のような素焼きの破片が出ています。
これは元々、塑像四天王だったようで、火事で燃えたために破片になって残りました。
塑像では土に簡単に返ってしまいますので、燃えた事が不幸中の幸い?
『広目天』の顔の一部が見つかっていますが、目元にガラスの流れた跡があります。
これらの像には、ガラスで葺いた目が入っていたようです。
塑像の他には、塼仏片や装飾用らしい金具なども出土しています。

それにしても学業研鑽でも修行の場でもない、この少し変わった寺での燃燈供養は、いつ誰によって開かれたのでしょう。
発掘現場は来週には埋め戻され、この後の検討が加えられるとの事です。
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