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奈良豆比古神社の『翁舞』は、毎年十月八日に行われます。
どういう訳か、観光案内では19時からと書かれているのですが、私が初めて見に行った十数年前にも昨夜にも、20時から始まっています。
招待者には国会議員の馬渕氏も来ておられまして……「あれ誰だっけ、奈良市長?」などと、頓珍漢な事をのたまうている観光客の方もおられました(^_^;)
20時になると拝殿にかけられた床を通って、神主さんを先頭に囃し方の笛、小鼓(二名)、大鼓、地謡、三番叟、脇(二名)、千歳(子方)、太夫が登場し、本田に参拝した後にそれぞれの座に着きます。
まずは千歳(せんざい)の舞、そして太夫(たゆう)の舞となりますが、千歳は小学生の男の子が勤め、太夫には途中で二人の脇(わき)が加わり三人舞になるのが有名です。
写真などで紹介されているのは、この三人の翁面を着けた太夫の舞ですね。
ところで……私は『三番叟』の類に全く無知でして、翁(太夫)の舞がどのようなものだったかが思い出せません(・_・;)
祝言の歌の後に舞を舞うくらいは分かっているんですが……気のせいか、ここの太夫、種を蒔いていたような??
『式三番』の翁舞に、こんな所作あったっけ???
三人の翁が着座すると、三番叟(さんばそう)が登場して前舞を行います。
この舞は一番動きも派手で、見ていても分かり易いと言うか、所作も面白いものですね。
この後に三番叟は一旦席に戻り、三人の翁は退出します。
三番叟は黒い尉の面を着け、千歳は鈴を持って共に舞台の中央に進み、どちらが次の舞を行うかの問答を始め、三番叟の鈴の段が始まります。
舞に使われる面は室町時代の物が多く残っているそうで、少なくとも室町時代の初期には舞が確立していた事は分かるのですが、享保年間に記された『奈良坊目拙解』には、かなり眉唾な事が書かれているようで、桓武天皇の御世に春日王の病気平癒のために二人の息子がこの舞を始めたのが、これらの舞の起源だとか云々……
伝承をどこまで信じるかはともかく、少なくとも大和の申楽座が『式三番』を確立する以前より、これらの舞が行われたのは確実なのだそうです。
同様の祝言の舞が、中央権力などと結びつく事によって昇華した『式三番』と、地方芸能のままで存続されて来た『翁舞』の違いが現れているという事なのでしょう。
それを比較できるだけの知識があれば良いのですが……ε-( ̄ヘ ̄)┌
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