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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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先日から『天平万葉論』という本を読んでおります。
私が万葉集関係の本を読むのは、ここ最近では実に珍しい事でして、内容が文法だの歌そのものを鑑賞するような内容では、まず手に取る事もありません。
この本の内容はと申しますと、まぁ、歴史の話がメインという方が良いでしょうか。

天平を冠する年号の時に、編者である大伴宿禰家持の周辺で詠われ、家持の価値観によって選ばれた倭歌が、この「天平万葉」歌です。
万葉集に名前の見えない人でも、何かにつけ歌を捻るくらいの事は、公私に渡る様々な宴席や法要の類に出席をした公家(どういう訳か、私はこの時代に貴族とうい言葉を使うのが好きではないんです……)諸氏には必要不可欠の要素だったと思われます。
したがって、万葉集に歌が選ばれている人は歌人で、漏れている人は歌人ではないという括りは、往々にして成立しないはずです。
まぁ、乱暴な物言いですが、歌人として優れた御仁の歌であれど、家持卿の琴線に触れない歌はいらなかったのでしょう(-_-)

さて、セカンド頁になった方のブログで、随分前に『仏前の唱歌一首』と題された巻第八-1594の歌についての戯言を述べた事があります。
この本の中でもこの歌について、『天平の芸能』と題して慶応大学の藤原茂樹先生が少し触れられています。

「右は冬十月の皇后宮の維摩講に、終日大唐、高麗等の種種の音楽を供養し、此の歌詞を唱ふ。弾琴は市原王と忍坂王(後に姓、大原真人赤麿を賜へるなり)、歌子は田口朝臣家守と河辺朝臣東人と、置始連長谷等と十数人なり」

天平十一(739)年、皇后宮が左京三条二坊(現在はイトーヨーカドー奈良店ほか)にあったのか、故太政大臣邸(現在は法華寺ほか)にあったのかは調べてみないと分からないのですが、かなり大規模な法要だと思われ、この左注に見える名前だけでもそうそうたるメンバーです。
本来は興福寺で行う藤原氏の法要をここで行ったと言う事は、既に公的な催しに准じ、藤原氏のみならず他の氏族や皇族の出席も数多あり、奏された楽も雅楽寮の楽人によるものだったに違いないとの見解です。

では、ここからは私の戯言……(ーー;)
左注では「弾琴」と書いて「ことひき」と読ませています。
今までに何度も、法要に限らず古楽の再現などを見聞きした経験はあるのですが、琴弾きはまず男性で、座って琴を弾く事が圧倒的に多いです。
逆に膝の上に置いて弾くという、古来の姿を見る事は滅多にありません。

ところで私の頭の中では、どういう訳か二人の弾琴者は立って、六弦の和琴を弾いているのです。
この具体的な映像がどうして出て来るのかと申しますと、それは『春日若宮おん祭り』の『和舞』の弾琴の姿に起因しているためなんです。
高校を卒業して少しした頃、始めておん祭りに行った時、この和舞の演奏を担当している人たちの姿が、とても印象的に見えたものです。
私の妄想の中では、未だに市原王(まだ十代だったと思われます)は、二人の楽人が両側から支える和琴を立ったままかき鳴らしているんです(~_~;)
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