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この遺跡の現地説明会があったのは、八月七日ですので二週間も前ですね(^^ゞ
このところずっと、都城づいてましたが、久々に弥生時代です。
『弥生時代前期の水田と里山』というサブタイトルが示すとおりの遺構が出ております。
手前(北側)の白い線で引かれている四角い部分が小区画の水田群で、真ん中辺りにある東西の河道よりも上(南側)が広葉樹を中心とする森林です。
この画像は、直径が一メートル近くある榎の切り株です。
他にも橡、胡桃、栗などの食用になる実がなる木、山桑、椿、楓などの木の幹や根が残っている事が、樹種鑑定によって分かっているそうです。
水田も雑木林も人の足跡も土器や木製品も、洪水が運んできた川砂で埋もれていました。
土地は上の画像の右上から左下の方向に緩く傾斜しています。
昨年までの調査でも水田は検出されていて、更に北の低地にまで延びるようですが、ここで耕作をしていた人達の住んでいた場所が、まだはっきりと分かっておりません。
今後、集落遺跡が発見されましたら、2400年前の葛城地域の景観が、より鮮明に分かって来るかもしれません。
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