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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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航空写真でないと全部が納まりきれません。現地説明会資料のサブタイトルは~弥生時代前期水田の調査~で、約2400年前の小区画水田が実に850枚以上も検出されています。
とにかくこの時代の水田としては、今現在でも日本で一番広い耕地面積を検出しているのがこの遺跡、南はかつての調査で判明した森林との境の川まで、北はもう少し延びて、現在調査中の範囲にまで及んでいます。
しかし東西の範囲はまだ未検出、いったいどれだけの広さとなるのでしょう。

現地説明会は、調査区の南側の土山の上に展望場所を作って、こちらで全容を見せてもらって、調査担当者の話を伺いました。

上から見渡さなければ、何が何やら……そこから見下ろしてこんな具合……28mmのやや広角でも、半分も収まっておりません。
これがだいたい中央部の辺りかな?
とにかく下に降りてしまうと、遺構が田んぼだけに全部同じような調子、まさに何が何やらというところです。
調査区内にコンパネで道を作っていますが、そこを歩いている人達との比較で、とにかく広いという事は分かるでしょうか。
人が集まっている辺り、島状遺構と仮の名称をつけている高まりがありますが、これは広い水田遺構には時々見られるそうで、今のところ何のためにこの場所が置かれているのか、定説はないようです。

案外、高低差のある土地に広がっています。水田の開かれた土地は全体的に見ると南から北へ、西から東へと下がっていますが、もう少し狭い範囲で見ると、東から西に下がって行く地点もあります。
これだけ広く、起伏も多少ある土地に効率良く水を引くためにも、何本かの水路を通し、田一枚の面積も小さくして水を溜め易くしているのが、古代の水田の特徴です。
ここでのサイズは大体が3×4メートル、畦の高さは5cm程度です。

そしてこの土地は氾濫現のようで、160センチにも及ぶ砂とシルトの層で埋められています。
この土砂を運んで来た川の存在ははっきりしませんが、調査区内にも後の時代に方向を変えて流れ込んだ支流が、耕作面を壊して何本か流れています。
後の時代になっても、この場所は水が湧きやすかったと見えて、近世の野井戸の跡なども見る事が出来ます。

水田遺構では殆ど遺物が出ないというセオリー通り、弥生前期の土器片が少しと、半分に折れた石包丁が見つかったくらいだそうです。
現在、この場所の北でも弥生時代の面を調査していて、水田の続きや水路が検出されていますので、北限の検出はそちらの調査に譲る形になりそうです。

さて、この広大な水田を営んでいた人々は、何処に住んでいたのでしょう?
この先、西の方向にも調査が広がって行くそうなので、そちらで住居址や集落の跡が出てくれると良いのですけれどねぇ(゜.゜)
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