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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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三条条間南小路の検出東二坊坊間東小路の溝の検出
既に一週間近くたってますが、この前の日曜日に奈良市で行われた現地説明会です。
この場所は県営プールがあった場所で、新しいプールは広陵町に出来るらしく、こちらは商業地として売却したい県の意向により、遺跡の発掘調査をしたと聞いています。
まだ、ホテルが出来るのかマンションが出来るのか、はたまた商業施設が出来るのかは未定……

現場に着いた時、何に驚いたかと申しますと、これぞとばかりにそびえた巨大な残土の山と、はがされたおびただしいアスファルト塊……(・_・;)
調査区を見て、だだっ広いだけじゃなくて深い……
それも現地表から2mは現代の埋土……こりゃ、アスファルト剥がしと重機掘削だけで結構かかっただろうなぁ(゜-゜)
ところが調査面は、奈良時代後期の一面だけ?

調査区周辺は高級住宅街場所は奈良市役所警察署のすぐ近く、最初の画像の遠景にはイトーヨーカドー奈良店が写っていますが、この場所、ご存知の通り、奈良時代の中期には左大臣の長屋王の邸宅(北宮)があったと推測される場所ですし、すぐ北は恵美押勝こと藤原朝臣仲麻呂田村第だといわれる場所です。

要するに当時の一等地なのですが、ここで検出されたのは、交わる条間小路と坊間小道と、小規模な掘っ立て小屋が10棟ばかりと井戸が7基、区画を分けると思しき柱の列くらいです。

この時代、五位以上の官人は、大路に囲まれた区画を16に区切った一坪を占有する屋敷にすむ事が出来ました。
それよりも低い身分の人は、1坪を2~16にまで区切って、さまざまな大きさの土地に家を構えていたとの事です。
ここで出てきたのは、そのような比較的低い身分の人たちの家のようです。
それも、土地利用がなされたのは奈良時代の後半だけ?
前半は住居区域として使われた痕跡はないようで、その下は古墳時代の層になってしまうという事です。

和同開珎を納めた地鎮の壷墨書のある土器片
この場所は結構地下水位が高いようで、住宅地としては不適切だったのか、さもなければ何かの施設を作るために確保したまま、放って置かれた土地だったのか?
それにしても左京三条二坊に、下級役人と思しき人たちの住居があった理由ははっきりしません。
おまけに井戸が7つも出ているのですが、その内の6つまでが同じ区画に集中しているのも奇妙な有様です。


ちなみにこの坊の西隣、左京三条一坊には、確か2坪を占有すると推測される大規模な屋敷があり(私はここを勝手に藤原北家にしたがっていますが、氷高内親王吉備内親王の宮だという研究者もいます)同じ三条二坊長屋王の邸宅は4坪占有、四条二坊田村第は6坪とも8坪とも言われています。

なんとも奇妙な土地利用のこの場所ですが、果たしてどこの会社が買い入れて、何を建ててくれるんでしょう?
すぐ近くがイトーヨーカドーですから、ショッピングモールは無理かな( ̄▽ ̄)。o0○
 
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