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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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ここは交差点かなり無味乾燥な名前が付いている調査地ですが、これで都城に少し詳しい人なら、おおよその位置はわかります。
ところで右京四坊までしかありません。
しかし左京は五条までに限れば、七坊まであります。
この五坊から七坊までが、かの有名な(?)外京です。

先日に新聞をにぎわせた、外京において始めて交差点が確認されたという調査成果が上がったのが、今回三月八日に現地説明会の行われた発掘現場です。
上の画像で、元興寺文化財研究所の佐藤氏が立っている位置が、東六坊坊間西小路二条条間南小路の交差点です。

円面硯の破片奈良町に近い内侍原町の辺りなので、中世以降の町並みに撹乱を受けているだろうと思いきや、この場所は西と北に向かって地形の下がって行く場所になるため、住宅地としてはあまり適さずに田畑になっていたようです。
ここから南東の興福寺の方向には、その寺内町が開けて行くので、恐らくは奈良時代の遺構の残りは良くないだろうと思われます。

さて、都の内の道には水はけのための側溝が必ず設けられています。
片側の側溝の中心から、もう片側の側溝の中心までを測ると、小路の場合は七メートルが普通なのですが、ここでは六メートルしかないということです。
これは和銅六(713)年の三月から四月に行われた度量衡の改正以降の小尺を使用していたからではないかとの事です。
確かに平城宮からはかなり離れた、少々地盤の良くない土地なので、遷都より少し遅れてこの辺りの整備はされたのかもしれません。
この路は、長岡京遷都の後も使われていたようで、溝から出土する土器も十世紀前半くらいまでの物が見られるとの事です。

今回の調査で出土した遺物はコンテナーで二十五箱くらいだそうですが、どれも日常的に使われた生活雑器が多いそうです。
特筆すべき物としては、上の画像の円面硯の欠片でしょうか。
とりあえず近所に御役人は住んでいたのかもしれませんが、場所的に考えてもあまり身分の高くない人か、お寺の関係者かもしれません。

この場所ですが、この後には高層マンションが建つようで、テレビ局が地元の反対派らしき方々にインタヴューをしている姿が、会場の片隅で見られました。
近鉄奈良駅から歩いて10分程度、奈良女子大学のすぐ近くで、一応ながら観光地の内です。
このような場所に無節操に高い建物を建てるのも、確かに景観への配慮も、周辺住民への理解もないように思われますが、如何なものなのでしょう。
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だけど、てむじんは、調査遷都したいなぁ。
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