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締め切りまでいくらもないってのに、今日も今日とてじゃない、昨日も昨日とて平城宮跡なんぞにおりました。
こいつがその証拠写真?
『平城遷都1300年祭』っちゅうのは、どこで始まってるんですかねぇ……奈良県民の温~~い視線を浴びながら、休日返上で大極殿院というよりも、セレモニー会場の準備工事をしているのでした。
私が通りかかった時は、ちょうどお昼休み、作業員の人たちはプレハブで昼食中でした。
それにしても、大極殿の屋根の真ん中の宝珠、こうやって遠めで見ると、あまり目立たないような気がします。
一般公開で三階の足場から見た時には、ド派手だわ~~~っと思ったのですが。
タイトルにあるように、東院地区の発掘調査の現地説明会に行って来ました。
この地区は2006年から調査していて、来年度が五年計画の一区切りとなるそうです。
ここの現地説明会、行くたびに思うのですが、本当に何が何やらさっぱり分からない……
まずはベースになる土が礫交じりで、おそらく整地層だと思います。
地山に比べると整地した面での遺構検出って、かなり分かりにくいハズ。
よくもまぁ、毎回、これでもかと切り合った柱穴の痕を探せるものだと感心しますわ。
今までにも行きました、東院地区の現説は↓のページにあります。
http://umena.blog.shinobi.jp/Entry/198/
http://umena.blog.shinobi.jp/Entry/179/
http://umezo.bakeinu.jp/entry/35335/
http://umezo.bakeinu.jp/entry/6747/
以前は全部で五期に亘る変遷が見て取れるという事でしたが、今回はついに六期にまで増えてしまいました……平城宮って710年から784年までの74年間(難波とか恭仁に都があっても、留守官はいたんだから)、都だった訳ですよね。
その間に六回もプラン変更して建物を大幅に立て替えているのですから、贅沢極まりないです。
聖武天皇の平城還都以降、天皇が変わるたびと考えて差し支えありません。
ちなみに最後の桓武天皇は、全部解体して長岡に持って行ってますけどね(゜_゜)
ちなみに復元展示されている東院庭園も、少なくとも二度は大きく作り直されているようです。
上層遺構は多分、光仁天皇の『楊梅宮(からもものみや)』の庭園ね。
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