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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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床が張られていたらしい建物の跡です。平城第466次調査は、第二次大極殿院東院地区の間に当たる、東方官衙地区の中央よりも少し南側に南北に細長くトレンチを開ける、いわば試掘に近い形で行われています。
この調査の現地説明会が、17日の土曜日に行われたので、好天強風の中、行って来ました。

何でも6メートル幅のトレンチを100メートル以上に渡って開けているので、遺構の種類は分かるものの、全容はとにかく次期以降の調査で広げなければ分からない状況です。

それにしても見事な建物群が大当たりしています。
これまでの調査で既に判明している12メートル幅の宮内道路の南側にかなり大きな築地塀があり、そこから50メートル余南に再び大きな築地塀があって、その南にまたもや12メートル幅の道路があって、一つの地区を形成しているようです。
この地区には更に二つの低めの築地塀の跡が検出されていて、それらに仕切られて礎石建ちの建物が三棟分検出されています。
その内の一番南側の建物跡は床束を支えていた小さな礎石も残されていて、床が張られた建物だった事が推測できるものです。
それが上の画像なのですが……よくもまあ、この浅い位置で遺構が残っていたものかと感心します。
技師の方が示している瓦の列は、床を支えるための基礎ではないかとの事です。
土地が低くて緩いので、このような補強が必要だったのかもしれません。
それにしても役所で礎石建ちの建物となりますと、かなり特殊な存在ではないかと想像できます。

私としては……ようやく中務省が出て来たかな??といったところ(^。^)
そのような事は、現場を担当している方は全く触れておられませんでしたが(-_-;)

東院庭園にてさて、レーダー探査をしたところ、これらの建物の西側にも同じような礎石の配列や空地が見られるそうなので、ここにはシンメトリーに配された六つの建物が予想されるようです。
ちなみに、築地に仕切られた建物群と広い道路を隔てた更に南には、掘建て柱に仕切られた、掘建て柱建物が二棟検出されています。
こちらは北側エリアとはかなり違う性格の役所があったようです。

現在の地形を見ても南北に走る細長く浅い谷にあたる場所なので、これらの建物群の西に並行するように、かなり長い水路の存在も確認がされています。
この位置に東宮を持ってくる事が相応しくなかったために、更に東のゆるい舌状尾根に東院が造られて、平城宮はあのような特異な形になったのだろうというのが、ここ最近では有力視されている説です。
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