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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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相変わらず切り合いだらけで……何が『乙巳の変』なんだ?
そういう訳で『甘樫丘東麓遺跡』の2009年度調査です。
何年か前には、これでもかと恐ろしく混雑していた現地説明会も、ここのところは適度に話題になっていると言う感じですね(^_^;)
ちなみに行われたのは昨日、三月二十日の事です。

今回はこの谷間の入り口辺りと丘の裾から上の方を調べてみようと、前回の調査地の東側に調査区を開けていました。
右側にボケて映っている石敷きは、
昨年の6月に検出した同じ遺構です。
やはり丘の上にも施設が?
左側の方には、数件の掘建て柱建物が数棟検出されていますが、後世の削平が著しいのと、出土遺物が少ないために、はっきりとした年代が分からないようです。

さて、石敷きの北側、丘の上にはどのような遺構の広がりがあるのやら、5×25メートルのトレンチを開けてみたところ、高低差10メートルの付近のテラス状になった平坦場で、二列の柵列を検出しています。
現状で地形を見てみますと、この平坦部、西の方へと巡っていて、この北側に飛鳥寺というか王宮の方向を見渡せる廓状の平らな場所があります。
この辺りをいずれは調査する事になるのかもしれませんが、今のところは予定は無いようです。

また平衡感覚の変な画像で(・_・;)さて、こちらは明日香村教育委員会の現場、『飛鳥寺西方遺跡』です。
このところ村教委では現地説明会を行わず、見学会に留めています。
もう少し状況を検討してから、改めて詳しい説明会を中央公民館などで行うようにしているようです。
それはそれで、かなり有益だと思うのですが……どうも状況が良く分からない(ーー;)

今回は40年以上も前に見つかった飛鳥寺西門前の石敷きや溝、土管暗渠の延長が検出されて、溝や暗渠は更に南へ伸びる様子が窺えるのですが……
石組み溝の向こう側の素掘りの幅広い溝は何なの?
その下層のかなり深い位置で土管の暗渠が出ているのですが、この両者の関係ってどうなってる訳?

敷石とバラスで明らかにエリアを仕切っています。
そして新聞にも載った『槻の木の広場』云々の石敷きがこちら。
手前には大きな石を敷いて方形に区切っていて、そこには丸く石の無い部分が見えますから、ここに柱が立って、何らかの建築物が立つ事になるのでしょうが、真ん中の素掘溝は何よ?雨落ち溝?……にしちゃ、その横に残りの悪い石組み溝らしき物も見えるんだが?????
奥の方は細かいバラスが敷かれていますから、手前の方形エリアとは別物の事は確かです。

知り合いの調査技師は三人とも現場におられるのですが、のべつ幕なしに誰かにつかまって質問をされている状況ですから、遠慮してさっさと引き上げてきました(^^ゞ
まあ、そのうちにまたどこかで調査報告会でもしてくれるでしょう。
その辺に期待しておきますわε-( ̄ヘ ̄)┌
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