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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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遺構全景-東からこの地区での調査は四度目で、このように広い範囲をまとめてあけるのは、昨年に続いてだそうです。
この画像は、昨年のトレンチの位置にある土山の上から写しています。

現地説明会の行われたのは、三月二十九日土曜日、本当なら奈良で研究会を冷やかして(?)いる予定だったのですが、あまりに良い天気だったので、予定変更して歩いて甘樫丘まで行って来ました。
明日香にて飛鳥川に沿って歩くと、一時間かからずに到着いたします。
途中の畑で、このような見事な雄の雉にも出会いました。
この辺りで見かける雉は、まず在来種、首に白い輪のある外来種は見た事がありません。

さて、新聞では総柱の倉庫と思しき建物跡と、その管理棟らしい建物が検出されたと言っていました。
この場所は大まかに3期に渡っての建築物の建て替えがあったようで、倉庫は第1期となる七世紀前半の物だそうです。
遺構-北東隅からこれが蘇我本宗家の繁栄の時代と合ってくる訳です。
今回の調査での成果は、このように切り合う建物群の具体的な時代変遷が分かった事だそうです。

飛鳥という土地は東と南が塞がっていて、西と北に多少の展望があります。
北の橿原から西の葛城にぬける道というのも限られていまして、この甘樫丘と川原寺の後山の間のルートか、飛鳥川に沿って伝板蓋宮跡や川原寺、橘寺の方向にぬけるか、大回りに山の上の方を通ってゆくかという具合です。
飛鳥寺の方向を見る。もっとも短いコースが、甘樫丘の東麓を行く道です。
ここを蘇我氏という一氏族が押さえているとしたら、川原や橘を押さえている大王家に露骨に対抗していると思われても仕方がないような気がいたします。
もっとも、ここが蘇我本宗家の屋敷の位置だと、決定的な遺物や遺構が出土した訳ではないので、ああだこうだと言うのは、どこまで行っても推測の域を出ていないのですが(~_~;)

では明日は、本日行われた『平城宮東方官衙地区』の現説でもm(__)m
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