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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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西から眺めて…正面は国見山昨年度に続き、御所市の『秋津遺跡』の調査が、橿原考古学研究所によって行われています。
これは京奈和自動車道の工事に伴う事前調査で、この場所はインターチェンジかジャンクションが出来るとの事で、かなり広い範囲を開けています。
今回は既に第5次調査となり、昨年の11月に行われた地区の南側を調査しています。
さらに南側も既に調査区として開けられていますが、こちらは中西遺跡、下層の弥生~縄文時代がメインとなるようです。

今更に申しますと、すぐ近くにJRの玉手駅がある事からも知られるように、ここはかつて葛城氏の有力な家の一つと考えられる玉田宿禰(葛城襲津彦の孫)の本拠地と考えられています。
この遺跡で最も重要視される柵に囲まれた大きな方形区画の年代は、出土した遺物から4世紀の前半だろうと考えられ、『日本書紀』に見えるこれら葛城氏の記録よりも若干古くなるようですが、大和盆地の西側を統率したであろう葛城の一族が史書に現れる以前より、大きな勢力を誇っていた事を示唆しているのかもしれません。

飛鳥時代の掘立柱建物に切られる古墳時代の竪穴式住居昨年度の調査で見つかった柵に囲まれた独立棟持柱(どくりつむなもちばしら)建物群の南側では、竪穴式住居が何度も建て替えられた形で見つかり、こちらは祭祀の場所を臨む一般の住居と見られます。
これら古墳時代の建物は、東北東から西南西へと緩く下って行く自然地形に沿うように作られている物が多いのですが、調査区の南端では正方位に乗った飛鳥時代の建物跡が幾つか出ていまして、その頃にも何らかの施設があった事が伺われます。


平安時代以降より最近まで、この周辺は農耕地として利用され続け、土地の上面もかなり削られているようで、住居跡の残りはあまり良くありませんが、最も大きな竪穴式住居は一辺が9メートルもあるそうで、これはこれでかなりグレードが高そうです。
何にしても、東の磯城に対して西の葛城、その中心地がこの秋津遺跡になるのでしょうか。
でも、展示してあった遺物はそれほど珍しい類も見られませんでしたが……σ(^◇^;)
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