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興福寺の北円堂と言えば、藤原朝臣不比等の一周忌に元明太上天皇が建立を命じたとされていまして、そのの後に二度ほど焼けています。
二度目が平重衡による南都焼討ちでして、現在の北円堂そのものは、承元四(1210)年の再建とされ、興福寺に現存する建物の内でも最も古い物です。
今回の調査対象の回廊は、最初の火事の後には再建されたと記録にあるのですが、二度目の時にはどうなのかが不明なのだそうで、範囲確認などと同時にこちらの確認も兼ねているとの事です。
しかし、如何せん残りがこのような状況、現時点ではまだ不明で、この後に遺物の取り上げ、遺構の状況などから検討する事になるのでしょう。
上の画像は南門の遺構なのですが、御覧のように基壇すら残っていない程、見事に削平されています。
それでもかろうじて、コーナー部分に地覆石(じふくいし)の抜取り跡が検出されたため、門の基壇の大きさは判明しました。
西面回廊も全体を検出していますが、かろうじて残る地覆石や抜取り穴、雨落溝(今現在は殆どが瓦溜りに埋もれています)で、長さや幅が確認できた状態です。
更には礎石の据付穴の跡もほぼ検出できたので、規模や構造(単式回廊です)も推測が出来ます。
こちらの画像は北門跡ですが、南門に比べればかなり残りが良い方でしょうか。
地覆石の列と羽目石も一段目が残っています。
ところが北側はと見れば、見事に後世に削られて残っていません。。
現地形は、そこから北は窪地になっていて、更に北にはホテルが建てられ、登り大路が走っています。
今まで、興福寺伽藍の置かれた立地を全く考えた事が無かったのに、今更ながら気づいたのですが、この北円堂は伽藍内の北西に建てられていますが、伽藍復元図の上で見ると、更に北側も伽藍の内部となっています。
現在の状況では、ここに別の建物があったかは既に分かりません。
本来、伽藍は東から突き出した舌状の尾根の上に乗っていて、その西の先端部に北円堂や南円堂が建てられています。
南円堂の南西に鎌倉時代に建てられた三重塔がありますが、ここに行くには三条通から登って来る階段の途中から左手に入って行く事になります。
つまり南円堂の南は急激に落ち込んだ崖で、その途中のテラス部に三重塔が建っている事になります。
北円堂もこれと同様、回廊の部分までは整地して高さを合わせていても、その北側は窪地として低い位置に建物が建っていた可能性もあるのでしょう。
しかし、今回の調査では、そのような痕跡は確認できていないようです。
ところで来月の三連休、鹿苑では恒例の鹿の角切りが行われるそうです。
そのような訳で、奈良公園内の牡鹿の中には、既に角を切られてサッパリ(?)しているものも何頭か見受けられました。
こちらの二頭の牡鹿は、東大寺境内の吉城川の橋のところにおりました。
川原に下りているヤツは、この後、大興奮しながら泥浴びをしておりました……こういうヤツから角を切られるんだろうなぁ(ーー;)
二度目が平重衡による南都焼討ちでして、現在の北円堂そのものは、承元四(1210)年の再建とされ、興福寺に現存する建物の内でも最も古い物です。
今回の調査対象の回廊は、最初の火事の後には再建されたと記録にあるのですが、二度目の時にはどうなのかが不明なのだそうで、範囲確認などと同時にこちらの確認も兼ねているとの事です。
しかし、如何せん残りがこのような状況、現時点ではまだ不明で、この後に遺物の取り上げ、遺構の状況などから検討する事になるのでしょう。
上の画像は南門の遺構なのですが、御覧のように基壇すら残っていない程、見事に削平されています。
それでもかろうじて、コーナー部分に地覆石(じふくいし)の抜取り跡が検出されたため、門の基壇の大きさは判明しました。
西面回廊も全体を検出していますが、かろうじて残る地覆石や抜取り穴、雨落溝(今現在は殆どが瓦溜りに埋もれています)で、長さや幅が確認できた状態です。
更には礎石の据付穴の跡もほぼ検出できたので、規模や構造(単式回廊です)も推測が出来ます。
こちらの画像は北門跡ですが、南門に比べればかなり残りが良い方でしょうか。
地覆石の列と羽目石も一段目が残っています。
ところが北側はと見れば、見事に後世に削られて残っていません。。
現地形は、そこから北は窪地になっていて、更に北にはホテルが建てられ、登り大路が走っています。
今まで、興福寺伽藍の置かれた立地を全く考えた事が無かったのに、今更ながら気づいたのですが、この北円堂は伽藍内の北西に建てられていますが、伽藍復元図の上で見ると、更に北側も伽藍の内部となっています。
現在の状況では、ここに別の建物があったかは既に分かりません。
本来、伽藍は東から突き出した舌状の尾根の上に乗っていて、その西の先端部に北円堂や南円堂が建てられています。
南円堂の南西に鎌倉時代に建てられた三重塔がありますが、ここに行くには三条通から登って来る階段の途中から左手に入って行く事になります。
つまり南円堂の南は急激に落ち込んだ崖で、その途中のテラス部に三重塔が建っている事になります。
北円堂もこれと同様、回廊の部分までは整地して高さを合わせていても、その北側は窪地として低い位置に建物が建っていた可能性もあるのでしょう。
しかし、今回の調査では、そのような痕跡は確認できていないようです。
ところで来月の三連休、鹿苑では恒例の鹿の角切りが行われるそうです。
そのような訳で、奈良公園内の牡鹿の中には、既に角を切られてサッパリ(?)しているものも何頭か見受けられました。
こちらの二頭の牡鹿は、東大寺境内の吉城川の橋のところにおりました。
川原に下りているヤツは、この後、大興奮しながら泥浴びをしておりました……こういうヤツから角を切られるんだろうなぁ(ーー;)
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