×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
こちらは9月28日に行われた、奈良文化財研究所による『興福寺西室』調査の現地説明会の様子です。
相変わらず写真の合成が下手なので、奥の方が変にひずんでいますが、全体的に見て遺構面がかなり浅い事が分かるかと思います。
『西室(にしむろ)』というのは、金堂と講堂の東西と北側を取り巻くように建てられた『三面僧房』の内、西側の僧房の事をいいます。
記録によればこの建物は、七度焼失して七度再建され、享保二(1717)年、八度目の火事の後は再建されなかったという事です。
調査前から礎石が地表に現れていて、周辺を掘り下げたところ、幾つかは創建時から動いた形跡が無い事が分かりました。
つまり、今まで行なわれた七度の建て直しも、同じ位置に同じ規模で行なわれた事が照明されました。
本来ならば、更に西側に『小子房』という建物も平行して建てられているはずなのですが、その礎石や抜き取り穴などは、平面での確認は出来ていないそうで、これから断ち割っての調査が続けられるとの事です。
整地層には大小の礫も多く、この地面を掘るとなると、かなり大変そうに見えます(-_-;)
更には、南東隅の拡張区で、南北10間の位置に基壇外装の凝灰岩ブロック列が見つかり、コーナーが検出されましたので、西室の規模も判明しました。
記録には11間と記されていたので、復元図は従来そのように描かれていたのですが、今回、それが間違っていた事も分かったという訳です。
それにしても電気やガスや水道の配管が、遺構を破壊するように走っているのが、この画像でも分かるかと思います。
中近世の排水用の土管や暗渠も多くみられますが、新しいものでは昭和30年代くらいの配線などもあるそうです。
文化財保護法などない時代の工事なので仕方がありませんが、これはこれで見事なものです(^_^;)
相変わらず写真の合成が下手なので、奥の方が変にひずんでいますが、全体的に見て遺構面がかなり浅い事が分かるかと思います。
『西室(にしむろ)』というのは、金堂と講堂の東西と北側を取り巻くように建てられた『三面僧房』の内、西側の僧房の事をいいます。
記録によればこの建物は、七度焼失して七度再建され、享保二(1717)年、八度目の火事の後は再建されなかったという事です。
調査前から礎石が地表に現れていて、周辺を掘り下げたところ、幾つかは創建時から動いた形跡が無い事が分かりました。
つまり、今まで行なわれた七度の建て直しも、同じ位置に同じ規模で行なわれた事が照明されました。
本来ならば、更に西側に『小子房』という建物も平行して建てられているはずなのですが、その礎石や抜き取り穴などは、平面での確認は出来ていないそうで、これから断ち割っての調査が続けられるとの事です。
整地層には大小の礫も多く、この地面を掘るとなると、かなり大変そうに見えます(-_-;)
更には、南東隅の拡張区で、南北10間の位置に基壇外装の凝灰岩ブロック列が見つかり、コーナーが検出されましたので、西室の規模も判明しました。
記録には11間と記されていたので、復元図は従来そのように描かれていたのですが、今回、それが間違っていた事も分かったという訳です。
それにしても電気やガスや水道の配管が、遺構を破壊するように走っているのが、この画像でも分かるかと思います。
中近世の排水用の土管や暗渠も多くみられますが、新しいものでは昭和30年代くらいの配線などもあるそうです。
文化財保護法などない時代の工事なので仕方がありませんが、これはこれで見事なものです(^_^;)
PR
この記事へのコメント