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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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ここ何日か、降りそうで降らない天気が続いておりましたが、本日こそ朝から土砂降り……
奈良文化財研究所の都城発掘調査部の現地説明会は、結構、降水確率が高いような気がします(~_~;)
それでも中止せずに毎回、決行するところがありがたいものです。

香具山を借景に画像の通りの雨の現場です。
ここでやけに目立っている真っ直ぐな溝は、藤原宮よりも後の時代の耕作によって出来た溝です。
いわゆる条里制田圃というやつでしょう、東西南北が整然としているので、ついそちらに目が行ってしまいますが、こいつを掘り上げないと、それ以前の時代の遺構の検出が出来ません。

藤原宮の時代まで上土を除きますと、全面が礫を敷いた地面が現れます。
そして水はけのための礫敷き暗渠と、通路の側溝らしき溝が、南北方向に検出されています。
これはかつて北側を調査した時にも延長が出ているそうです。
これらの溝と共に柱の列が検出され、この場所を区画して東西に長い掘建柱建物が二棟検出されました。
このようにして出て来たのが、新聞等でも報じられた天皇の即位儀礼に関わる遺構です。
天皇が即位しますと、その年の十一月、即位が七月以降の場合は翌年の十一月に『大嘗祭』が行われます。
その儀式の為に『悠紀国』と『主基国』が選ばれ、それらの国から奉納された新米を朝庭に設けた仮家で、神と共に食したとされています……と言っても、今現在まで皇室の神事として、関係者以外には全く知る術のない儀式なので推測でしかありません。
ここで新たに即位した天皇が籠もる借りの施設を『悠紀院』『主基院』と呼びます。

藤原宮跡の蓮畑……借景は畝傍山今回検出されたのが『悠紀院』の北半分です。
さて、この『悠紀院』はいったいどなたの即位に使われたのでしょう?
藤原宮で即位した天皇は、『続日本紀』によれば二人おられます。
まずは697年即位の文武天皇、そして707年の元明天皇です。
現在はまだ調査の途中との事で、この先、更に下層まで一部を掘り進める事で、もしも別の建物跡が検出されれば、この『大嘗宮』がどちらの天皇の物かも自ずと分かるのですが……(・・?

ともあれ今回発見された『大嘗宮』は、平城宮時代の七代六人の天皇の宮に先立ちますので最古の例となります。
下層の調査の結果が出るのは今年の秋だそうで、その折には再び現地説明会が行われるという事でした。

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きょううめぞーと、借家っぽい即位したいなぁ。
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