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久々に奈良文化財研究所の藤原宮での調査です。
いつもながらに、こちらの現地説明会は雨天気味の事が多いですが、この度も例には漏れておりませんσ(^◇^;)
それでも説明が始まる頃には、何とか雨が上がり、天気予報通り、寒いの何のと……
今回の調査の場所としては朝堂院(ちょうどういん)の東第一~第二朝堂の前辺りなので、宮が機能している時には、朝庭(ちょうてい)の一部となっているので、礫敷きが検出されてしかるべき、という訳で今回も上層の遺構面にはコブシ大の石が敷き詰められていました。
礫敷きの上には、古い瓦を敷いた平安時代くらいの道もありましたが、一部に小判状にへこんだ場所がありまして、これを半裁したところ、新聞記事などでも取り上げられた、おびただしい木屑の発見と相成りました。
掘り下げた部分だけでコンテナー180杯分の木屑が出土したというので、こりゃ半端じゃありません。
分厚いところで10cm程度の堆積が有ったそうです。
何れもチョウナやヤリガンナなどで削った物なのだそうで、整地土に掘られた穴に捨てられているので、明らかに造営時の産物です。
宮の造営時といえば、昨年に西側で見つかった建物群の続きが、やはり下層で三棟分見つかっています。
一つは正方位に乗っていないので、更に古い物と考えられますが、いずれにせよ整地層を重ねて行く途中で建てられた掘建て小屋です。
建物群の西側には、同じ時期と思われる柱の列が五条ほど見つかっていますが、これの性格は良く分かっていないようです。
そして同じエリアに直径3メートルにもなる土坑がありまして、壊れた瓦などが出土したので、物を廃棄していたのかもしれません。
この埋土の中からは、ゲンゴロウ(動物遺体)なども見つかっていて、水が溜まっていた可能性も指摘されています。
今回の調査区の北端では、以前の調査でも確認されていた大きな窪地の南端が部分的に確認されていて、朝堂院の北東隅にはかつて沼状の地形があり、そこを埋め立てて造成をした事も判明しています。
この類の自然地形を埋め立てるというのも、かなりの労力と土量を有する物ですから、生半可な造営事業ではなかった事が良く分かります。
これを十六年で放棄してしまうという、当時の国家権力の大きさにも魂消させて頂けました( ̄▽ ̄)。o0○
いつもながらに、こちらの現地説明会は雨天気味の事が多いですが、この度も例には漏れておりませんσ(^◇^;)
それでも説明が始まる頃には、何とか雨が上がり、天気予報通り、寒いの何のと……
今回の調査の場所としては朝堂院(ちょうどういん)の東第一~第二朝堂の前辺りなので、宮が機能している時には、朝庭(ちょうてい)の一部となっているので、礫敷きが検出されてしかるべき、という訳で今回も上層の遺構面にはコブシ大の石が敷き詰められていました。
礫敷きの上には、古い瓦を敷いた平安時代くらいの道もありましたが、一部に小判状にへこんだ場所がありまして、これを半裁したところ、新聞記事などでも取り上げられた、おびただしい木屑の発見と相成りました。
掘り下げた部分だけでコンテナー180杯分の木屑が出土したというので、こりゃ半端じゃありません。
分厚いところで10cm程度の堆積が有ったそうです。
何れもチョウナやヤリガンナなどで削った物なのだそうで、整地土に掘られた穴に捨てられているので、明らかに造営時の産物です。
宮の造営時といえば、昨年に西側で見つかった建物群の続きが、やはり下層で三棟分見つかっています。
一つは正方位に乗っていないので、更に古い物と考えられますが、いずれにせよ整地層を重ねて行く途中で建てられた掘建て小屋です。
建物群の西側には、同じ時期と思われる柱の列が五条ほど見つかっていますが、これの性格は良く分かっていないようです。
そして同じエリアに直径3メートルにもなる土坑がありまして、壊れた瓦などが出土したので、物を廃棄していたのかもしれません。
この埋土の中からは、ゲンゴロウ(動物遺体)なども見つかっていて、水が溜まっていた可能性も指摘されています。
今回の調査区の北端では、以前の調査でも確認されていた大きな窪地の南端が部分的に確認されていて、朝堂院の北東隅にはかつて沼状の地形があり、そこを埋め立てて造成をした事も判明しています。
この類の自然地形を埋め立てるというのも、かなりの労力と土量を有する物ですから、生半可な造営事業ではなかった事が良く分かります。
これを十六年で放棄してしまうという、当時の国家権力の大きさにも魂消させて頂けました( ̄▽ ̄)。o0○
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