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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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実際に明日香村でレンタサイクルなどを借りたり、歩いて散策された方は分かると思いますが、ここは全体的に緩い傾斜の土地です。
勿論、石舞台の方へ上がって行けば山になりますので、急峻な場所もあるのですが、1300年以上前にこの地に都があった時は、なるべく平らで広い空間が取れる場所に宮地を置いた事になります。
池の岸辺は石敷きでした。それにしても南から北へ下がり、東から西へも下がって行くので、後の時代の例から見ると、少々奇妙な場所に都を置いたものです。

この苑池飛鳥浄御原宮より一段下がった河岸段丘の上にある事になるのでしょうか。
この池、渡り堤を挟んで南北の二つに別れ、北池からは更に水路が北に延びて途中で西に折れ曲がるだろうと、これまでの調査で判明しているようです。
今回の調査では、この北池の北東のコーナーが検出され、池の範囲がほぼ定まりました。
上の画像の右上、色が黒く変わっているところが北池です。

護岸は石を積んでいます。検出した池を西から見ますとこんな感じ。
左上の方の石の列が池の東岸になり。右側の列が北岸です。
ちなみに底まで掘りきれてはおりませんで、手前の水中ポンプを突っ込んであるトレンチ、この深さでようやく底の石組みが出ているようです。
まぁ、私の身長くらいは優にありそうですね。

このくらいまで掘ると湧水レベルを超えますので、とてもよく水が沸くそうです。
何でもここの小字は『出水』、池の水の供給源は東の山からの湧水のようです。
そして排水は、一段下がった飛鳥川に流れて行くのでしょうか。
現在の地形で見ると、北の水路から川は少し遠いようにも思えるのですが。

石敷きと建物の雨落ち溝?

池の東側はゆるい傾斜で上がって行きますが、ここは全面に小石を敷いた広場になっていたようです。
一番上の写真の調査区では、あまり石の残りは良くありませんが、東側の調査区ではこの画像の右側のように、かなり良く残っています。
ちなみに左上から手前に伸びている石組みは、恐らく建物の屋根からの雨水を流すための溝、雨落ち溝ではないかと考えられ、この東側(左側)には更に建物か築地塀のような構築物があったと推測できます。

奈良県では、この苑池を史跡指定したので、公園として整備したいのだそうです。
昨年の遷都1300年祭で、北の方ばかりが注目されておりますので、中南和にも重要な遺跡があるんだよ~と、再びアピールして活性化して欲しい訳なんですね、地元としても。
それにしても埋蔵文化財という観点から見て、明日香や桜井はまだ活気があるけど、橿原はどうなんでしょうねぇ……ε-( ̄ヘ ̄)┌
植山古墳の整備、どうなってんだ??
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