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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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調査区越しに飛鳥寺遠謀飛鳥京飛鳥寺などの飛鳥地域の調査は、明日香村教育委員会橿原考古学研究所奈良文化財研究所が分担して行っています。
今回は明日香村教育委員会の調査で、飛鳥寺旧境内の西側、飛鳥川との間に広がっていたと推測される広場の範囲確認調査です。

『日本書紀』には『飛鳥寺の西』という記述が皇極天皇から持統天皇の時代にまで見えるそうで、それには槻の木という表現も伴い、セレモニーなども催した記録が記されているので、飛鳥寺の西側には広い饗宴のための空間が設けられ、そこには象徴的に槻の木が生えていた事になります。
 
今回の調査区は、そろそろ南の端か、という辺りに設けているのだろうと思うのですが、まだはっきりとした事は言えそうにありません。
最初の画像の真ん中を突っ切っている東西の石組みの溝は、幅90cm、深さは10cm、存在は初めて検出されてたのだと思います……ってのは、今回も今までに同様、現地説明会ではなくて現地見学会だったので、具体的な説明はなしで、質問のある方は関係職員にお気軽にお尋ね下さい状況でした。
ちなみに報告会は、前日に行われたそうです……知らなかったσ(^◇^;)

東側から見る調査区一方、二枚目の画像の手前に横たわる幅120cmの南北溝は、今までの調査で、北へ130mは伸びる事が確認されています。
このど真ん中に伸びている畦の左側で部分的に、溝を埋めるように小ぶりの石が敷かれているのですが、この石と東西溝の北側に広がっている石敷きとが同時期か否かは、今のところ分からないようです。
東西溝と石敷きの間に石列が見えるのですが、こいつが南北溝を切っているようで、そうなると交差すると思われる二本の溝にも時代差がある事になるのかな……?

更には、ここに石が敷かれるより前に、整地した土地の排水のためと思われる暗渠の土管が、ここでも確認されているとの事。
ここでは南北溝の下を斜めに横切っていますが、ここの北側では真っ直ぐ正方位に乗って180メートルも確認されているとか。
やはり、かなり広いスペースを飛鳥寺の西側に設けている事は確かなのでしょう。
このような訳で、明日香村での調査はまだまだ続き、新たな発見が更にある事かと思われます。
来週は橿考研の苑池跡の現地説明会だったかな?
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