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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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これが区画溝今年も高麗寺の発掘現地説明会が行われました。
既に第10次、調査自体は今年度で終了ですが、来年からは史跡整備に入るという事です。

さてそれにしても、相変わらず何が何やら分からない画像ですね。
先細りに掘られた溝の中に瓦の割れたのが、やたらに散乱しておりますが、これは高麗寺の伽藍回廊のすぐ西側に掘られた区画溝です。
どうしてしっかり掘られていないのでしょう……これは排水用の溝だという事です。
この場所の地形は西から東に向かって緩やかに傾斜しているそうで、雨水が伽藍の内側に流れ込まないようにと、この溝に集め、南側の木津川へと流すための溝だそうで、寺域の外まで掘られているのが、昨年の調査で確認されています。

こういうイメージ画が、今回も示されていました。いつものように木津川市内在住の早川和子氏による、再現イラストが公開されていました。
このようなヴィジュアル資料があると、本当に分かりやすくて助かりますね(・。・)
このイラストの中央辺り、回廊に沿って寺の外まで掘られているのが、今回検出された溝です。
この溝の中から9世紀初頭の瓦と12世紀末くらいの瓦器碗が多数、出土しています。
つまり9世紀以降は寺の補修はされておらず、12世紀末までは人がこの場所に住んでいた事を示しています。
南山城域の古代寺院は、たいていが長岡京への遷都に伴うように廃絶しているそうですが、この寺はその後も存続していた可能性があるようです。

柵列の角が出ています。さて、この日は京都府の方でも恭仁宮の調査の現地説明会も行われていまして、高麗寺から無料シャトルバスが出ていました。
奈良県版の新聞にはこちらの記事は載っておりませんで、イレギュラーですが、この好意に甘えて恭仁宮の発掘現場にも行って参りました。
昨年の調査でも、大極殿の後殿の推定場所と朝堂院に調査区を設けておりましたが、今年もやはり二箇所の調査が行われています。

この画像では、朝堂院と朝集殿院の間を区画した柵列を検出しています。
調査技師の足元に見えている変な形の穴は、柱の抜取り穴です。
何せ五年弱しか都として機能しなかった恭仁京の宮地です。
平城還都の後はさっさと解体が始まったらしく、ここに立っていた柱も平城宮に運ばれたのかもしれません。

さて、ここの朝集殿院は朝堂院よりも東西、三間分ほど広くなっているそうで、このプランは平城宮の第一次朝堂院と同じなのだとか。
しかし土地的な制約なのか否か、全体の幅はやや狭いのだとか……
全体的に急普請の印象の強い恭仁宮です。
この後の調査でも、やっぱり掘っ立て柱の検出ばかりなのかなぁ……?

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