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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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二人舞装束の御巫さんと御巫長さん春日大社の巫女さんを御巫(みかんこ)と呼ぶのは、奈良県民ならば馴染みがある事かと思います。
その御巫さんのリーダーが御巫長、昨日に行われました『いのちと心の講座』は、御巫長の杉浦翔子さんによる『御巫のお話』でした。
この画像の右が御巫長さんで、おん祭りや神楽始式の時に、一臈の装束を着けて舞っておられる方です。

神護景雲二(768)年、時の左大臣にして藤原氏の氏長の永手(北家・五十五歳)が、御笠山の麓に春日大社を創建したとされています。
この時に御巫さんがいたのか否かは不明で、その初見としては、延喜二十(920)年に藤原忠房の詠んだ歌に
“めづらしき けふのかすがのやをとめを 神もうれしと偲ばざらめや”
とみえまして、『春日の八乙女』が御巫さんの事だろうとされています。

いろいろな御巫装束この後に春日若宮様が出現し(長保五年)、若宮社が建てられますと(長承四年)、『拝殿の八乙女』と呼ばれる御巫さんがお仕えするようになります。
そして若宮祭(おん祭り)の日は勿論、いろいろなシーンで登場して来ます。 
その頃の御巫さんは、身分的にもかなり高かったようで、通勤に馬を使えるような人もいたとか。

室町時代には、若宮拝殿巫女は数十人もいたようで、毎日、御神楽の研鑽に励んでいたようです。
この頃には神主さんはあまり、一般の人の求めでは御祈祷はされずに、御巫さんが祈祷をし、神楽を舞って、託宣をしたという記録がかなりあるのだそうです。

『珍しな』という扇舞が始まります。一番上の画像を見て頂くと分かりますが、現在の御巫さんの装束は、襟を八枚重ねるのが正式だそうですが、夏はやはり便宜性を考えて、普段の装束では二枚襟になっているとの事です。

他にも二人舞装束、御田植装束などもあります(二枚目の画像)
赤いタスキをかけた御田植装束の時は、腰に蛙籠と呼ばれる籠をさげています。
衣被(きぬかずき)を着けるのは、おん祭りのお渡り式で見る事が出来ます。

御巫長さんだけが着る事の出来る一人舞装束は、金糸の刺繍の入った豪華なもので、袴も他の人と比べると引きずるほどの長さになっています。
三枚目の画像の端の方で衣文にかかっている白い方の装束です……が、殆ど見えませんね(゜_゜)

こうしてレクチャーの最後に、実際の社殿神楽を二曲『珍しな』と『皇神』を舞っていただき、今回も滅多に聞けないような裏話も交えての講座を楽しんで参りました。
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