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我が家の『黒侘助』が真っ盛りに咲いているのを見て、何となく他の椿も見に行きたくなって、奈良までふらりと出かけて参りました。
『白毫寺』は奈良市白毫寺町にあります。
この辺りがこの寺を中心に開けていた様子が、何となく窺えます。
私がここへ行くのは大抵が秋、つまりは『志貴親王御忌』の頃なので、この画像の石段には萩の花がたわわに咲いています。
この時期に訪れるのは、さて、何年振りでしょう。
今の時期はといえば、南都の三椿の一つ、『五色椿』が咲いているので、三連休と好天も手伝って、それなりに人出は多いです。
境内では写真を撮る人、スケッチをする人を何人も見る事が出来ます。
この椿の木は天然記念物に指定され、解説の看板によりますと、寛永年間に興福寺の塔頭から移植されたものだそうです。
寛永年間というと1624年から1644年、少なくとも樹齢は三百数十年になります。
一本の木なのに、白や赤、絞りなどの様々な八重の大輪の花をつけるので有名です。
園芸の事には詳しくないのですが、江戸時代には椿に限らず菊や朝顔、桜草などの改良が武士や裕福な町民層にも流行ったそうで、この椿も、そのような園芸ブームの時に生まれた品種なのかもしれません。
日本古来の自生種は一重の赤い『やぶ椿』ですから、これはどう見ても園芸種ですわ(^^ゞ
椿の殆どは花の形のままで散りますので、武家には好まれなかったといいますが、青い芝の上に落ちた花は、やはり絵になりますね。
花以外でもこちらには、いくつかの有名な仏像がおられます。
一番良く知られているのは『閻魔王』と『司命』『司録』の三像でしょう。
これらの重要文化財級の像は殆ど、宝蔵に並んでおられますが、私は本堂の『阿弥陀三尊像』が結構好きです。
特に脇侍の『勢至菩薩』『観音菩薩』は小ぶりながら、鎌倉仏特有の端正な姿をしてまして、二十数年来のファンです……と、また年の知れるような発言を(ーー;)
東大寺にも行ったのですが、『のりこぼし』はまだ咲き初めという感じでした。
境内の枝垂れ桜も二分咲き程度、薄墨系の桜も少しずつ咲いています。
そして奈良で一番早く開花する『氷室神社』の大枝垂れ桜は、この何日かの暖かさで、あっという間に開花したそうです。
明日はこの花でもm(__)m
『白毫寺』は奈良市白毫寺町にあります。
この辺りがこの寺を中心に開けていた様子が、何となく窺えます。
私がここへ行くのは大抵が秋、つまりは『志貴親王御忌』の頃なので、この画像の石段には萩の花がたわわに咲いています。
この時期に訪れるのは、さて、何年振りでしょう。
今の時期はといえば、南都の三椿の一つ、『五色椿』が咲いているので、三連休と好天も手伝って、それなりに人出は多いです。
境内では写真を撮る人、スケッチをする人を何人も見る事が出来ます。
この椿の木は天然記念物に指定され、解説の看板によりますと、寛永年間に興福寺の塔頭から移植されたものだそうです。
寛永年間というと1624年から1644年、少なくとも樹齢は三百数十年になります。
一本の木なのに、白や赤、絞りなどの様々な八重の大輪の花をつけるので有名です。
園芸の事には詳しくないのですが、江戸時代には椿に限らず菊や朝顔、桜草などの改良が武士や裕福な町民層にも流行ったそうで、この椿も、そのような園芸ブームの時に生まれた品種なのかもしれません。
日本古来の自生種は一重の赤い『やぶ椿』ですから、これはどう見ても園芸種ですわ(^^ゞ
椿の殆どは花の形のままで散りますので、武家には好まれなかったといいますが、青い芝の上に落ちた花は、やはり絵になりますね。
花以外でもこちらには、いくつかの有名な仏像がおられます。
一番良く知られているのは『閻魔王』と『司命』『司録』の三像でしょう。
これらの重要文化財級の像は殆ど、宝蔵に並んでおられますが、私は本堂の『阿弥陀三尊像』が結構好きです。
特に脇侍の『勢至菩薩』『観音菩薩』は小ぶりながら、鎌倉仏特有の端正な姿をしてまして、二十数年来のファンです……と、また年の知れるような発言を(ーー;)
東大寺にも行ったのですが、『のりこぼし』はまだ咲き初めという感じでした。
境内の枝垂れ桜も二分咲き程度、薄墨系の桜も少しずつ咲いています。
そして奈良で一番早く開花する『氷室神社』の大枝垂れ桜は、この何日かの暖かさで、あっという間に開花したそうです。
明日はこの花でもm(__)m
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