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奈良市陰陽町は、奈良町の『もちいどのアーケード』を抜けて更に南に行った辺りです。
“いんようちょう”と読むらしいのですが、昔々に陰陽師が住んでいたから、そのような町名がついたのだとか。
陰陽師と申しましても、公務員的な陰陽師ではなく、在野にいた“拝み屋”的な人達だと思います。
奈良町の成立が中世以降ですから。
ではこれより、ここにある『鎮宅霊符神社』のオモロイ狛犬を紹介いたしますm(__)mこういう顔をしています。
大きさは柴犬程度、以前見て記憶していたよりも少々小さかったです。
台座の銘を見ますと、前面には何やら三行程度にわたって彫ってあるのですが、真ん中の行の“近江”しか判別が出来ません。
奉納者の名前などだと思うのですが。
側面には“慶應三年”その次が干支だと思うのですが、またもや分からず、“四月吉日”となっています。
慶応三年は1867年、大政奉還の前年ですね。
この顔を見ていると、「え~じゃないか」というか「え~やんか」とでも言いたそうですわ(~_~;)
この顔つきも体つきも、今までここで上げましたスタンダードな幕末や明治の狛犬とは全然違いますが、こいつも強いて分類すれば『浪花型』になるのだそうです。
脚元にミニペットボトルを置いてみましたので、だいたいの大きさが分かるでしょうか。
それにしても、変な前脚の付き方ですねぇ……
ちなみに後姿はこんな感じです。
まるで先端に船形光背が立っているみたいですが、一応、扇状の巻き毛尻尾ですね。
こちらの神社ですが、入り口に鳥居がなくて、お寺かちょっと立派そうな家の門のようになっているので、つい通り過ぎそうになります。
おまけに細い路地を入って行くので、こんなオモロイ子がいる割には、訪れる人は稀です。
それでも知る人は知る、なかなか人気のある狛犬らしいです。
“いんようちょう”と読むらしいのですが、昔々に陰陽師が住んでいたから、そのような町名がついたのだとか。
陰陽師と申しましても、公務員的な陰陽師ではなく、在野にいた“拝み屋”的な人達だと思います。
奈良町の成立が中世以降ですから。
ではこれより、ここにある『鎮宅霊符神社』のオモロイ狛犬を紹介いたしますm(__)mこういう顔をしています。
大きさは柴犬程度、以前見て記憶していたよりも少々小さかったです。
台座の銘を見ますと、前面には何やら三行程度にわたって彫ってあるのですが、真ん中の行の“近江”しか判別が出来ません。
奉納者の名前などだと思うのですが。
側面には“慶應三年”その次が干支だと思うのですが、またもや分からず、“四月吉日”となっています。
慶応三年は1867年、大政奉還の前年ですね。
この顔を見ていると、「え~じゃないか」というか「え~やんか」とでも言いたそうですわ(~_~;)
この顔つきも体つきも、今までここで上げましたスタンダードな幕末や明治の狛犬とは全然違いますが、こいつも強いて分類すれば『浪花型』になるのだそうです。
脚元にミニペットボトルを置いてみましたので、だいたいの大きさが分かるでしょうか。
それにしても、変な前脚の付き方ですねぇ……
ちなみに後姿はこんな感じです。
まるで先端に船形光背が立っているみたいですが、一応、扇状の巻き毛尻尾ですね。
こちらの神社ですが、入り口に鳥居がなくて、お寺かちょっと立派そうな家の門のようになっているので、つい通り過ぎそうになります。
おまけに細い路地を入って行くので、こんなオモロイ子がいる割には、訪れる人は稀です。
それでも知る人は知る、なかなか人気のある狛犬らしいです。
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おくればせながら謹賀新年
早良親王・・・面白そうですね。私としては、ぶっとんだ怨霊イメージしかわかない・・というのも、わたなべまさこのマンガに出てくる恐ろしい親王像が基本になっているからかも~♪
また、本年もどうぞ、よろしくお願いします。
ところで、S氏は・・・ある意味、先輩なのです・・。
今年もよろしくお願いしますm(__)m
私の場合、早良親王に関しては、逆に怨霊のイメージが全然ないんですわ。
少し前にこの親王の后という人を勝手に想定して、その女性主体で短編を書いたりしたのが原因でしょうか。
彼女が怨霊騒ぎなんて誰かの錯覚という態度を後半生に貫いてくれるため、この辺、やけに冷めてるんです(^^ゞ
乱読様はK大出身でしたね。
うちの上司もそうですし、知人にも多いです。
しかし、S氏の就任はイレギュラーでしたわ(゜.゜)