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延喜式内社『嶋田神社』
やはり奈良市八島町にあります。
こちらの御祭神は神八井耳命と早良親王とされています。
かつては八嶋陵の領域に、崇道天王社と島田神社とがあって、明治時代に統合してこちらに移したのだそうです。
江戸から明治にかけて、あちらこちらで小さな社を大きな社に統合する動きはありましたから、有り触れた事にも思えるのですが、昨日の記事にあげました奇妙な石、あれも崇道天王社に関係する磐座か何からしいのですが、さすがに動かす事はできずに道の真ん中に鎮座したままらしいです。
さて、この御社は、県の指定文化財になっています。
春日移し――つまり、春日大社の第45次式年遷宮に伴ない、享保十二(1727)年に第二殿を八嶋村に譲渡したのがこれだろうとされているのですが、擬宝珠の銘は更に古いと、説明板にはありました(~_~;)
何でも慶長十八(1613)年とあるらしいです。
100年以上違うって、江戸時代ともなると差も大きいような気がするのですが。
地形の制約でもないと思うのですが、この社は西を向いて建っています。
今まで意識した事が殆どなかったのですが、社って普通はどちらを向いて建っている物でしたっけ?
職業柄、古墳の開口部は結構意識するんですけどねぇ……
やはり奈良市八島町にあります。
こちらの御祭神は神八井耳命と早良親王とされています。
かつては八嶋陵の領域に、崇道天王社と島田神社とがあって、明治時代に統合してこちらに移したのだそうです。
江戸から明治にかけて、あちらこちらで小さな社を大きな社に統合する動きはありましたから、有り触れた事にも思えるのですが、昨日の記事にあげました奇妙な石、あれも崇道天王社に関係する磐座か何からしいのですが、さすがに動かす事はできずに道の真ん中に鎮座したままらしいです。
さて、この御社は、県の指定文化財になっています。
春日移し――つまり、春日大社の第45次式年遷宮に伴ない、享保十二(1727)年に第二殿を八嶋村に譲渡したのがこれだろうとされているのですが、擬宝珠の銘は更に古いと、説明板にはありました(~_~;)
何でも慶長十八(1613)年とあるらしいです。
100年以上違うって、江戸時代ともなると差も大きいような気がするのですが。
地形の制約でもないと思うのですが、この社は西を向いて建っています。
今まで意識した事が殆どなかったのですが、社って普通はどちらを向いて建っている物でしたっけ?
職業柄、古墳の開口部は結構意識するんですけどねぇ……
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